山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

2月日記

1日(晴れ) 【夢】ボロボロで閑散とした不衛生な老人ホーム。どこまでも続く薄暗い箱形の廊下、壁はシミだらけ、トイレはボロボロに崩れ、職員には感情が通って見えず、人の住むところではない。夜、面会時間も過ぎるタイミング、一瞬の決意、知人がいるわけでもないがここに留まり、一晩隠れてこの場所の一夜を見届ける。誰もいない部屋の真ん中にガランと置かれた壊れかけのベッドの下に入る。よれたシーツが垂れ下がっている。看護職員室、職員の中に友人Nを見つけるが、見たこともないほど疲弊している。/NYのハーレムだろうか、黒人で溢れかえる教会、簡素なようで小綺麗、窓からさす緑の光、アジア人が一人、誰も知る者なくこんな場所にいて大丈夫なのか、いつもネットで音楽のライブ配信をしている場所らしく、演奏前の自由な開かれた熱気、その熱気に紛れようとする、窓から見える入り口の壁に貼られたフリージャズ系のチラシ、誰もこんなアジア人を気にとめるでもなく思い思いに過ごしている。

 

 動作(ムーヴメント)が「点(型)(瞬間)」の連なりとなるのは日本人の身体技法の特性なのか。歌舞伎は云うまでもなく、能にせよ、空手にせよ、一瞬の、空気が止まったような「型」が印象に残る。芸能では、そこに生を映した死が、死を映した生が、諸行無常の感が溢れ出す。が、それを前提としつつも近頃は、常に流れ続けている時間において、動作(ムーヴメント)のことを考える。常に「上」から「下」へ、「実」から「虚」へと流れ込んで行く「水」のようなものとして。決して静止した「点(型)」として取り出すことはできず、絶えず次から次の動きが折り畳まれている状態、しかもそれは腹部/丹田から。 外部にいきなり表出されるダイナミックさではなく、からだの内部に凝縮された様々なダイナミクス、ディメンションが外部を変質させてゆくというところ。何故、からだの内部に凝縮させてゆく必要があるのか。例えば、器の中の水を勢いよく外部に撒き散らそうとするよりも、中の水を少しずつ旋回させ、その勢い/力を器の中で極限までまとめ上げ、制御不能になったところで自ずからの力によって外部に溢れ出すという方が、格段に強度があり、かつ内部のテクスチュアは変質し、外部にも大きく働きかけることが可能になる。 脳性麻痺の障害者運動団体、青い芝の会のリーダーだった横塚晃一氏の遺言、「はやく、ゆっくり」、という言葉を、絶えず自らに問うている。問うてゆくことを自らに課している。

 

2日 GEZAN『狂』(2020)。発売日を心待ちにするような経験は久しぶり。このアルバムは事件だと思う。ベンヤミンの言葉を借りれば、権威としての〈神話〉を破壊する〈神的暴力〉のような圧倒的スケール。資本主義や政治的権力が強制してくる、いのちへの冒涜的な論理、私たち自身が陥りやすい差別意識、思考停止の構造等を直視し、荒廃した所与のヴィジョン、イメージを徹底的に破壊しようとし、どのように再び「信頼」を立てることができるのか、ということ。それも、イメージすることによって。何故ここに来て、内田直之(元DRY & HEAVY)をミックスに据え、ダブの手法を必要としたのかも考え合わせると面白い。レベルミュージック。インタビューにて、「10年先のイメージまで想定してオルタナティヴな存在を考えないと、絶対に間違える」と自覚的に話していることも印象的だった。2020年の幕開けに合わせて発売されたことの意味も大きい。

 

3日 Rafiq Bhatia『Standards Vol.1』(2020)、不思議なEPだ。ジャズのスタンダード4曲がカバーされているが、それぞれの楽曲に対して何故このような解釈が生まれるのか、まったく理解できない。にもかかわらず気になる。謎解きをしてみたい欲望に駆られるが、無駄なことだ。分かっていながら、この謎めいた、いまだ存在したことのないようなサウンドプロダクションに深く耳と想像力を傾けてしまう。デヴィッド・リンチの『ツインピークス』が大好きだとどこかで読んだ。サウンドを聴いていて、なんとなく分かる。/ 日々やり続けるというのは、それだけで一つの覚悟だ。それだけで一つの、切実な姿となってゆく。解像度が上がり、奥行きが増してゆく。その歳月の折重なりが複雑化、多層化するほど味わいも増してゆく。 

 

4日 尻に中途半端に刺青の入った元チンピラで、いつも痙攣しながら這って歩く爺さん。坊主に無精髭が伸びっぱなし。見た事がないほど機嫌がいいようで、古い翁面のような表情をしている。特に目尻の辺り。当人の話ではロクでもない人生を歩んできたようだが、老年になったある瞬間にふいにこのような顔になるというのは面白い。翁面は云うまでもなく目出度い面だが、どこか一筋縄ではいかぬような胡散臭さをも覚える。爺さんのズボンには、いつものように乾いたうんこがこびりついていた。/ 公園で自転車を止める。雀が一斉に飛び立つ。様々な鳥が賑やかで、さえずり声から鳥の種類を数える遊び。8種類くらいは分かる。遠くの校庭から聞こえる小学生の声、チャイムがなったら消える。

 鎌倉より詩誌「たぶの森 4」届く。対談「芭蕉とエロス 第4回 アニミズムについて」は、「物我一致」はもとより芭蕉の皮膚感覚〜内臓感覚、そこに内在する「生-性-死」をつなぐ感覚についての言及にハッとさせられる。〈いきながら一つに氷る海鼠(なまこ)哉〉(芭蕉)。柴田千晶の俳句「色街」、初めて出会ったが魂消た。 表紙の内木場映子の版画作品がいつもながら素敵だ。

5日 知人ミュージシャンのPV撮影で神保町。音楽時代の知人とこのような形で再開できることが嬉しい。

6日 夜分、呼び出され喫茶店にて三人、トロツキーの話、大野一雄天皇制、亡霊、シャマニズムの話。

 

 10日 伊藤キム「病める舞姫」(@東神奈川かなっくホール)を観る。フィジカルシアターとして、よくできた作品だとは思う。舞台をカタルシスにまで持ってゆく演出はよくできているし、言葉を喋りながらその意味を次第に解体させたり、動きながらギターを弾いたり、身体もよく利いて、器用だなぁと思う。しかし身体そのものが見えてこない。迫ってこない。行為としての狂気、危機は見えるが、身体の内部から発される狂気や危機、その質の変容が見えてこない。 事前に配られたノートによると、土方巽『病める舞姫』のテクストを切断、逸脱、ショートさせながら、それに伴う身体の変容に自らのダンス遍歴を重ねた自伝的作品でもあるようだ。しかし次第に加速してゆく過剰な狂気的振る舞いはあくまでも演じられた器用さ、演じられたシャマニズムの域を出ていないように見える。舞踏の祖たる土方巽のテクスト『病める舞姫』をテーマに掲げた作品だが、彼なりの舞踏論、舞踏観、舞踏から学んだものが見えてこなかった。形骸化した「舞踏」に関心がないことは理解できるが、とはいえその系譜のもとにあるダンサーとして、そこは正面から向き合ってほしかった。カタルシス的なシーンに至っては、マイケル・ジャクソンのような動きを随所に取り入れることで、「コンテンポラリーダンス」としての見応えを担保しようとしているようにすら見えた。「土方巽」は今や多くの場合、素材としか見られていない。「狂気」も「危機」も、自らの身体の底深くへと訪ねることで出会うものでもなくなり、あくまで「ダンス」を錯乱させるための表面的な方法としてしか見られていないのではないか。『病める舞姫』を扱うのであれば、土方巽がやろうとしたこと、舞踏がやろうとしたことは何だったのかを真摯に問うようなものが見たい。昨今の「ダンス・アーカイブ」の「使用法」の議論についても思うことだが、過去の遺産を「素材」として都合のいいように扱うようなポスト・モダン的アプローチにはうんざりする。敬意がない。その「軽さ」が「今」なのであれば(音楽でいえば「vaporwave」など)、私はそれを軽蔑する。(キムさんの当作品に対して軽蔑しているわけではないが。あくまでも「個人史」的な作品としては、よくできていたように思う)。

 

13日 公演手伝いで撮影する側に。内容にも大いに興味あったが、撮影しているとそちらに集中してしまい、内実をしかと見つめることができず残念。フォトジェニックであるとか写真的な「決定的瞬間」があるといったことは作品の本質とは全くの無関係に思える。写真家にも様々なスタンスがあるだろうが、みなさんどのように作品と向き合っているのだろうと、ふと思う。その場の空気感を綴るエッセイは書けても、作品を論じることは難しいのではないか。

 

14日 神田伯山がはじめた《伯山ティービィー》が毎日楽しみだ。寄席を観るだけでは分からぬ噺家の楽屋裏の姿が可笑しく、またかっこいい。「六代目神田伯山真打披露興行【密着#3】」、好楽師匠が楽屋裏から曲芸を見ている表情、夢見るようにトロンとして子供の眼だ。舞台はこうした心地にさせるものでありたい。

 

16日 「その頃はここからちょっと行った、もっと川の近くに住んでたんだよ。空襲では、もっと駅の近くの方に爆弾が落っこちて。JRの線路を狙ったんだな。ボーンってすごい音がしたから、落ち着いてから見に行ったんだよ。そしたら町ん中に10メートルくらいの穴がボコボコ、12〜13個空いててな。それから帰ってきてから、また不発弾が爆発して。それで10人くらい亡くなったの。おれも、もうちょっとそこにいたら死んでたかも分かんない」「それからまたちょっとしてから、今度は焼夷弾でなぁ。町の5〜6割くらいは焼けたんじゃないか。ここいら辺りは養蚕も盛んだったからよく燃えたんだ」。「父ちゃんは手が悪くって、戦争に行かないですんだの。浅間山の麓の出身で、酒飲みで遊び人だった。だから母ちゃんが苦労してたよ。畑もろくにやらなかった。で、政治が趣味みたいなもんだった」。

 東アフリカでバッタが大量発生して数千万人に食糧危機の恐れがあるとのこと。バッタの大量発生、大量移動といえば、アイヌの古式舞踊にも「バッタキ・ウポポ」なる、かつて十勝平野にバッタが大量発生した恐ろしさを後世に伝えるための踊りがあることを思い出す。

 

17日(晴れ)夕刻、たまたま先祖の墓のある霊園近くを通りかかり、数年ぶりに墓参り。迷路のようだが、15分ほど勘を頼りに歩いていると見つかる。ふかふかの枯葉に覆われており、箒もないので手で掬って綺麗にし、余っていたミネラルウォーターを墓石にかける。

 

19日(晴れ)午前9時半に新宿末廣亭に並ぶ。昼、神保町。アンリ・ミショー全集を見つけ購入す。夕刻、末廣亭へ戻り、「六代目神田伯山襲名披露興行9日目」。 日替わりゲストの立川志らく、約八年振りに観たが、暴走しすぎることなくよきバランスでの逸脱を見せるイリュージョン落語。やはり惹きつける力は抜群にある。談志の「イリュージョン」を継いでいるのは確かに志らくと云えるのだが、しかし談志にあったメタ性(落語に落語論が内包されている。噺に噺家自身の姿が映し出されている。この二重のメタ性)がないのは惜しいところ。 神田伯山「しじみ売り」、彼の人情噺には立川談志談春にあるような迫真の、エモーショナルさがあった。細やかな表現の精度と集中力に息を呑む。

f:id:ArihiroYamada:20200229125351j:plain

 

20日 「苦しみの毎日だよ。こんなからだになっちゃって、もう何もできないからな。一人じゃ何もできない。どこにも行けない。一日中寝てるしかない。今まで好き放題やってきたからねぇ。バチが当たったんだよ」「でもいい人生だったよ。(女が泣いてる姿もたくさん見てきたよ。おれ?おれは泣かしたことはないよ。話を聞いてやった方)。希望?希望は歩くことだねぇ。もうムリかもしれないけどなぁ」。

 大切な場所、カフェギャラリーばおばぶ金沢文庫)ののぶよさん逝去。2012年、踊りをはじめたばかりの頃、ひょんな縁から私にとって初めての無音でのソロを15分間踊らせてもらった。その時の赤い鞠の踊りのこと、その後もずっと覚えていてくださった。住宅地にありながら、庭の自然と屋内との境界が曖昧で、その時の小雨と、それがやんでからの風の音を今でも覚えている。時空のねじれたような不思議な空間だった。彼女が綴っていた長い長い「最後の手記」、放蕩娘としての半生、幾多もの大切な人の死と、縁と、生かしてくれたものと。自死という掟違反によって、逆説的にあるものとあるものとを結んでくれたものとのこと。

 

23日 「父親は酒呑みでねぇ。戦後、メタノールをちょっと飲んで、あ、こりゃヤバい、ってすぐ飲むのやめたんだけど、眼が霞んじゃって。その時一緒にいて、全部飲んじゃった人らは4人くらい失明したって話だよ。それから、この川をもうちょっと行ったところに朝鮮人部落があって。朝鮮人が酒をつくってたの。それを買いに行ったりしてな。」

 

24日(曇り)午前中、ギャラリーみずのそら(西荻窪)にてリハ。互いの感触を確かめつつ場と仲良くなるための。水面、ガラスの境界、光と影、音の響き。存分に踊れる時期にもっともっと踊り尽くしておかねば勿体ない、と思う。

 

25日(曇り)「宗像大社中津宮現地大祭」についての2014年のドキュメンタリー。沖ノ島自体の厳かさ、女人禁制の祭りの空気のヤバさ。世界遺産登録後は一般人の入島も完全に禁止されているとのこと。このような場所が残されていることに畏れ入る。

 

26日(雨/曇り)一面、藍染めのような夕刻の空。咳き込む爺さん。「(今は小さな暗渠となっている)家の前は昔小川があったんだよ。花がきれいで。よく野菜を洗ったり生活用水にしていた。じいちゃんがよく昼間っから寝てた」。

 「神田伯山真打披露興行【密着#15】」。昇太の口上、圓楽の芸に対する愛。

 

27日(晴れ/風強し)【夢】ASKR氏(彼が夢に出ることは少なくない)、倉庫のような場所、絨毯を緻密に綾なす模様の細かい線の一本一本をなぞり描いて行く、途方もない作業。黙して孤独に向き合っている。その姿を寝ずに見守る者、二〜三人、私は二階より。翌朝には完成している。複雑な折り重なり。彼のトラックの端に飛び乗り、旅は進む。ゴミ収集の錆びついた巨大な機械の渦の道へと入ってゆく。

 ストーブをつける、やかんが鳴る、上昇する熱気で棚の上からはみ出る袋がさわさわと煽られ揺れている。時計の音。 気が弱っている老婆、優しい声かけでは動かない、旦那が勇気付け、檄を飛ばすことで動き出す、安心とは相手の意思に対する寛容さだけで与えられるものではないのやもしれぬ、時に力強く鼓舞すること、手を引くこと。相手によるが。風強し。冬枯れて見える細い枝に白い膨らみ。/夜、マスクをして電車に揺られ、川を越えて海と教会の街、暗い路地を登る、森のように茂った光と翳りの家、小さな空間に溢れんばかりの人、魔女とも呼ばれた彼女の生涯は人とのつながりにあり、様々な「アヴェ・マリア」が聞かれる、故人がよくうたっていた歌をみなで口ずさむ、歌は祈り、あらゆる仕草を舞踊化すること、亡くなる十日前に最後にキスしたのはきっと私だと告げる、また来る機会はあるだろうか、一足先に遠路をくだる。深夜、マリア・カラス。 

 

28日(晴れ)仙骨の尾骶骨寄りの部分から発してくる動き。そこから腕へと繋がってゆく感覚を探る。息を吐き脱力すると同時に、「踏む」のでなく「重さが落下する」感覚。

 「すべてのことに盲目にならぬかぎり能の完成は覚束ない。さぐりさぐり、触感一つできめて行く。覚えてゆく」(白洲正子『お能』)。ここで云う「盲目」とは、文字通りの意。能は死と生の狭間に絶えず立たされた戦乱の世に生まれたが、介護の現場で老・病・死を前にした"いのち"と向き合っていることと、夢幻能のような幽玄性もまた接近させることができるように思う。能の抽象性について考えながら、自身の踊りの抽象性と具体性のバランスについて思う。基本的に意味を逸れてゆくような抽象化寄りのタイプではあるが、その時々で塩梅は変わる。具体的な所作であれ、脱意味化、脱目的化して行くこと。/シュウマイをいただく。旨し。

 

29日(晴れ)石をカーンカーンと打ち鳴らす音が響く朝。「人が信用できなくなったねぇ。調子いいときはみんなよくしてくれたのに、体が動けなくなった途端に手のひら返したようにサッといなくなる。おれのもん、みんな持っていきやがる」。遠方にかつての職場と池の見えるマンション6階、ゴミ屋敷。出会って何度目か、望みに応えることがでなかった時、こいつもか、というようにこちらを見つめた乾いた冷めた眼が忘れられない。奥さんの野良猫のような眼と猫背。

 西荻窪ギャラリーみずのそらでの展示「おそのい村のねこまつり」にて、サックスと自作楽器の舩橋陽さんとのパフォーマンス「てまえあし」 。室内での砂時計の音、ガラス一枚隔ててギャラリーの向こう、足元のみが見える水辺をワイドに歩行をはじめる、電子音、次第に身体が変容してゆく…。雨男二人、晴れていた公演時だったが、打ち上げの末で雨。帰り道、酔いと眠気とほどよい疲れ、2015年パリ公演の後に宿まで歩いて帰った時のことを思い出す。