山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

08月28日 土曜日、晴れ。







なかなか更新せず
ご無沙汰でごめんなさい。









髪を切るも、
どうも"いまどき"っぽくて身の丈に合わず。
顔、からだ、髪型、服、靴、心持ちなどが見事に分裂したような
ギクシャクした思いを引きずって生活している。
毎日別人のような空気を纏っているような気がする。
複数の人に、"なんか雰囲気変わりましたねぇ"と云われる。
でも、"全然変わってなーい"とか云う人もいるんだろな。
まぁ、どちらも同じようなもの。
夏は生命。
夏の夕暮れは死から。
夏の光。緑の光線
蝉たちの声のせめぎ合いが、
川のせせらぎのようにすら聞こえる。
世界は、名付けた瞬間に"世界"になる。
毎朝、近所の土方の人たちの声が響き渡る。






標高七六四�bの地でルドンさんの画集を開く。
色彩の幻影が紙面から滲み出てくる。
眼からからだにありのまま注ぎこむ。
画集の頁を一枚一枚捲ってゆく、という行為には、
いつもどこかしら居心地の悪さを感じながら。
山地にて。




エグルストンさんの写真。七年振り。
記憶とは切り離せなくなってしまったことを知る。
止め処もなく。現在。





アンゲロプロス尽くし。
この画。
この音。この音楽。
画面いっぱいの曇り空と灰色の海。漆黒の闇。
これぞ映画。
こんな画を撮れる人は、
現代では間違いなく、
他にいない。
この時間、
魔術的な間やテンポの妙、
ゆっくりと、しづかに画面の外へと消えてゆき、
唐突に画面の中へ切り込んでくる、人、もの、風景、音、の、
(ここに溝口さん……)
語りえなさ…、、。
を、語ること、の、不可能性、可能性、不可能性、。
語りえぬことの、姿。
記憶の姿。
記憶の空白の姿。
空白の裂け目に見えてくる幻影。
幻影が映す、語りえぬ記憶。
見えないものを、
見えるものに。
見えるものを、見えないものに、。
空白を、見えないままに、。
消えてしまった、消されてしまった、
消してしまった、
なかったことにしてしまった、
なかったことにされてしまった、記憶に。
なかったことにされてしまった、人たちに。
空白のなかに、
置き去りにされてしまった人たちのために。
空白を、
抱えさせられてしまった人たちのために。
それらの、
聴こえない声に耳を開いてゆくことの。
越えられないものへ、越ええないものへ、
決して届かぬものへと、
手を伸ばしてゆこうとする人たちの、
為す術なき人たちの、姿、
さいごの。
同語反復の、切々と降り積もる、
声なき声の、届かぬ、
声を救う場処を探して。

虚は、実。
実は、虚。





わたしがあの時、
(いつも幻のような空気になる)
と云ったのは。
夢幻能の"夢幻"という感覚に近いのです。







一日のうちに、
テュエリー・ミュグレーの香水の香りと何度も遭遇した。
満月の日。




音楽の力を信じるひとに
救われる。
響き方がどれも同じだ。そして違う。
詩も。踊りも。音も。声も。
空気。呼吸。息。身体内部の抑制された沸騰熱。
消えてゆくもの。振動。風景。
やさしさと、空間のふるえ。
つながってゆくもの。
つらなってゆくもの。





星は。
名付けられたとき。
その質を変化させるか。







グラウンド・ゼロの最終盤終曲にて、
歌垣のように演じられるラッパの声の響き合いに
情念のようなものすら感じ取り。
この声だ。この声だ。
わたしをのろへ。