山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

01月20日 木曜日、晴れ。





今日も太陽が眩しい。
食べ物を身体に入れる。
日々勉強。目紛しく。
水仙の花をいただく。
灰を馴らした。
風を送った。

机に松毬を飾る。
先日は、霊園に落ちていた桜の樹の枝をポリポリと折っていた。
土にまみれた瓦を拾った。水で流した。

自然な成り行きで、あるものがすり替わって手元にやってくる。
こんにちは、新しい人。
すべて、音は声なのだと話した。
"私"を、"存在"でなく"現象"として捉えてゆかないとお話しにならない。

花となって。
芳香となって。
淀みとなって。
限りなく軽い霧となって。
蓮の葉から鳥の翼となって。
染みてゆく。

人間は、液体にも気体にもなれる。
形容詞ではない。動詞として。

窓は今日も開け放ったまま。
ジャコメッティさんの彫刻のように、
自らを細く消え入るほどまでに空間に対して開いていって。
しかしそこには虚ろな芯、軸のしなやかなつよさをもってせねば直立できない。

もっと笑ってください。
もっと怒ってください。
もっと苦しめて。
もっともがいて。
もっと諦めて。
もっと感じて。
そこで閉じてしまわぬように。
内側でめくるめきうごめくいかに僅かな変化にも静かに慎重に耳を立てて。
微細な決定的反応の合図を捉え逃さぬよう全身で。

諦めなさい。
最初っから、表現なんて出来ない。
最初っから、即興なんて出来ない。
生きてること以上の表現も、生きてること以上の即興もありやしない。
(最大の不幸にみまわれた人に通じるものでなければしょうがない)。
と、ある方は云った。
ちょっと、簡単に考えすぎてるんじゃないかしらん。
ちょっと、甘くみすぎてるんじゃないかしらん。
そんなもんじゃない。まず、明めなさい。
そんなありきたりな感受性、ありきたりな了見ではとても深淵まで届きやいたしません。

スローモーションではなく。
それだけの時間差が、そこには必要なのだと。

大寒にも、さようなら。
気が遠くなってしまう程の眠気と、
起きた時の、あぁ、まだ生きていた、という感触。
朝の一杯の水。
蒲団のつめたさ。
白い梅の花


ドライヤーの『奇跡』を観る。
ドライヤーに聞こえるデンマーク語はうたのように、呪文のように、風のように響くのがいい。
気配を、そこにある見えない動きを、掌にすくいとるように撮ってゆく。
垂直移動が振り子のように揺れて。