山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

01月31日 月曜日、晴れ。







先日は、知人の展示会へと自転車を走らせて。
大都会に立つ青っぽい建物八階へと侵入す。
エレベーターで赤児を連れたお母さんとご一緒する。
紙一枚の裏表、透かしてみてはじめて見えてくる、
意図されなかった偶然のつながり。
切り抜かれた一枚の薄紙の裏表の狭間、その「あいだ」に幻のように生じる世界、。
浮かび上がる"夢"のような明確なヴィジョン。
公的な言葉も含まれるからこそ面白い。
紙一枚の中で、火花がバチバチと散っている。
透視すること。について想う。
境目を見つけ、開いてゆく、通じてゆくこと。
一度、制度化された意味、文脈を無効にして、その"もの"それ自体の別の可能性を開いてゆくこと。
「青」という色に、再び遭遇。
限りない深さと遠さの色。
貼付けられた、透明の窓。青、青、青、青、青、……、街並のように。
刻一刻と色も光も変化する。
どんな日であっても、世界は必ず二度、青と光を経験して、闇へ、光へ没入してゆく。
真っ黒いタワーのように見えた、夜。

タンポポの綿毛の軽さ。生命を秘めた種の飛翔。
充実した内部のエネルギー、と雪。
倒れた木に、菌のように生息する存在。
横たわるものの上に宿るいのち。
生とは、垂直性のことである。
横たわっていても、それは地表に対して直立している。


先日は、知人の出ている舞台を見に、電車で川を越えて。
夜の駅構内で、おにぎりを食べた。
冒頭から掴まれたまま、飽きさせないテンポの良さ。
意味は分からずともこの混沌には持ってゆかれるし、
テーマの裏まで分け入っても、奥行きがあるのでじっくりと感じられる。
ただ、踊り(というか身体動作)に対するアプローチの仕方は、
個人的に、自分の探求したい方向とはベクトルが違うんだなぁ、ということも思う。
いっぱい笑って、いっぱいグッときて、いっぱい元気をもらいましたわ。
やっぱり、目の前で人間が演じている、ということのライブ感が良いな。




久しぶりの人とともにパスタを食す。
赤ワインのホットを傾ける。
白と赤のハンカチ落とし。

お寺まで、水を掛けに歩く。
大日如来さんの伽藍のための工事はじまる。
枯れ木の周りで子どもらが戯れる。


冬の夜にピアソラを聞く。
頂き物の、とらやの最中を食べる。
頂き物の、チョコレットを食べる。
頂き物の、蜜柑を剥き、口に入れる。
どうもありがとう。
ひとからの思いやりや気遣いの温かさ。


成瀬『めし』浮雲』を観る。どちらも再見。
(無限な宇宙の廣さのなかに
 人間の哀れな営々としたいとなみが
 私はたまらなく好きだ  ―林芙美子



 月があかるすぎるまぼろしをすする 山頭火


2月2日の月見ルでの演奏は、正装して出ることに。
今回は、"もの"は控えめに、ほぼギタァにて向かう予定。
平日の18時半出演と、かなり早い時間ではありますが、
もし間に合う方がいらっしゃいますれば、是非とも。
お待ちしております。