山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

四月。











四月一日(晴れ)
(夢、倫敦郊外のかつてよく通った田舎道、林と苔蒸した石塀と小さな川の流れ、道を歩めば少しずつ水嵩が増してきており終いには溢れかえり水没している家々、塩分が含まれているのか、床や家壁は崩れ落ち剥き出しになっている、黒き染みだらけの中で平然と人は生活して居る、)。
早朝よりセックス明けの様なカップルを追い抜いていつもの道を歩く、。/好きな夫婦の旦那さまは来れどもおかっぱのおばさまは今日も見えず、少しずつ流れも変わり行く、。
草野球場を横切る、駆ける子供等、都心の高層ビルの下で水の音と日向の暖かし。新しき場処、”鉛直”、振り子とばね、揺れること、折るのでなく伸縮を自在に操る、空洞を空洞のまま存在として在らしめることで基点をつくる、ぶれないもの、。
神話知と民俗知、或いは叙事詩のこと、。黄土色の店でラーメン食らう、。
川中理紗子さん見に歌舞伎町、ストリップは虚しさと華やかな輝きとが素晴らしくて幻の様でも生きることの様相の一瞬間を照らし出す様でもある、"ない"ものを慈しみ触れようとする姿、幻の様に浮かび上がる身体の輪郭線に魅了される、身体の最後に取り残された場処を開いて見せると云うこと、此岸と彼岸、。

四月二日(晴れ)
(夢、窓の外の夜道を湯豆腐が歩いている。Imfk先生は思いの外厳しい方でNkgwさんに贈与した『物質的恍惚』にサインを求めた彼女を(あれでは駄目だ、)と見離されることと成った…、欧州の食卓の様な風通しの良い場処。薄暗いバスに乗り込むのは高校時代の公園前バス停、不良であるUくんは私にRくんの隣を譲ってくれたのが意外、悶々と有害な黒煙を上げ続ける巨大な焼却施設の隣を走る、此れはどうにかせねば成るまいて…、。日本人形やカラフルなビニィルボール等新旧の物で溢れた部屋を見て(此処も大分独特になって来たな)と伯父は云う、)。
頭を手拭いで縛って歩く、きちんと紙に記して置くべきこと、黒いインクが白地を這って行くのを身体で追って行く感触は久し振り、しかし白地に黒だけとは少し怖いものがある…。生姜とトマトと法蓮草のカレー食らう。
音楽と踊りのコラボレートする場、ではなく、音楽でも踊りでもあるような場(人も場も、其れそのものが、)がもっとあって良い、それから"リズム"と云うことの捉え方ももっと多様であるべき、人間が生きると云うことの可能性を身体の延長で捉え拡張し探求して行くような、。サンプラーやらループやエフェクトの話はもういい、今の私にとって興味あるのはそういった飛び道具に依らずとも身体ひとつを足掛かりに開いてみせることの出来る異時間異空間の層のこと、。
音楽と料理に就いてもてなすことを軸として、。ピッザのジューシーなトマトの感じが美味し。/土(くに)、と云うことである。観世寿夫さん「道成寺」聴き続ける、鼓の音は水琴窟の水の音の様に空間を引き締めるのだなと。

四月三日(雨)
眼の充血したまま図書館へ寄り足早に、。/恋愛話、もっともっと輝いてくなさい、。橋を架ける為に人身御供を柱てること、人は与える者でなければなるまい、もっともっと語ることと語らないことに就いて深く徹底的に考えてゆかねばならない…、語らないことに就いて、叙事詩、語るということ、言葉に就いて、詩に就いて、。"九州"を強く意識したのは映画「ユリイカ」を初めて観た大学一年の時だったやも知れぬ、。パスタ食らう。、誰もいなくなった喫茶店でMBVを流しながら窓の外の暴風雨の世界を眺める、お仕事は二時間半早く終わり嬉し、。
折れた傘だらけの街、強風に交差点へ吹き飛ばされそうになりながら、喫煙場処で一服しつつ車のライトの流れが美し、皆がそわそわして居るのが分かる、風の強い日には身体もざわざわする、普段は聴こえない音が聴こえて来るものである、故に遠回りして森の公園へと散歩、こんな日を人類はどんな風に過ごして来たのだろう、縄文人や新人は、録音を記録しながら(おい、少しはだまれ、YMD、)と叱咤して耳を澄ます、目黒区は雨も上がり月や星がちらりほらりと見え始めていた、数限りない大小の樹々たちは月明かりを浴びてシンクロスイミングで水面から伸びる足の様に地面から天へと伸びて居て、ざわざわと鳴ったりミシミシと鳴ったりして居る、とても人間のスケールを越えている音、遥か遠方よりやって来る音は上空より下りて来る、風の鳴る音、風の声と月と云えば矢張り賢治のこと、器としての大広間の中央に水溜まりがポツリポツリとある中に立ち身体に貞く、人間はどうするのだろう、揺らぐ影という現象、感じ、動き、耳開き、声上げる、声、其れは遥か遠方へと届けるような高き遠吠えの如き声、誰でもないものに向けての音、自然と対峙する者の、生きていることと対峙する者の、「台風クラブ」をふと思い出したのはあれは誰も云ってはいないけれど神話的ですらある死と再生の場を八〇年代の中学生の姿を通して描いて居る様に思えた、背の高く細い木の倒れて居た、神道の儀式に用いる鈴の様な木の枝を持って帰る、。
石と笛とグラスの課題、或いは鼓の、。己のやるべき事だけは何を置いても徹底的にするってことが最低限でしょう、別に肩肘張らなくとも良いけれど、決して無謀なことではない、一見無謀に見えれども自分で其処への明確な道筋を周到に準備しておくことが大事だったり、。
ポロックが人間の姿を秘める様にして描いて居ただなんて吃驚、フラクタル、焦点を分散させること、このやり方では続かないと云うことも又明白であったわけだが、。

四月四日(晴れ)
(夢、玄関先がきれいに模様替えされていた、)。
荷物、未だ届かず、。Sと久し振りに話す、。
急遽、余白をつくって頂けた事に感謝感謝であり、本日は其の余白を生きさせて頂く、準備に費やす、此の様な時が私には毎度必要かも知れぬ、。
甥っ子と久々に会う。本日は一つの奇跡を見た、前健さん、映画館にて真っ暗にして、。本日になって近所の神社の桜が一気に花開いて居た、。(動けぬもの〜国民、弱者、動植物、すべてこの地球に存在するモノ〜は聲を挙げなければならない。)と。

四月五日(晴れ時々曇り)
(夢、猫には優しい、薄明かりの桜島フェリーを下りる、。思わぬゲストでMTさんのフィードバックの重なり行きが熟練の域で美しい、話しかけると目黒から北千住へ引っ越そうかという話題は商売と団塊の話を交えて、)。
そのうち当方はレニー・トリスターノジョン・ルイス、チコ・ハミルトンの様なスタイルを自らに課す時が来るであろうことを予感す…、中でもチコ・ハミルトンの謎は…、あの禁欲的なまでの室内楽スタイルと集注力、。/弟と小津『浮草』、縦横の直線、言葉の反復、推進せぬことに寄って深めること、常に赤があること、もはや人間が風景の様ですら…、ラストの駅待合室での煙草のやりとり、。/人間とは翻訳家であるか…、他者〜聲なき者の声を身の内に宿し共に生きる者、。

四月六日(晴れ)
(吉祥寺、飲み、まだ舞台モードが続いていた、。朝日新聞社のオールカラーでかなり充実した社内関係者向け雑誌の調べもの、薄暗い灰色の店先)。
身体を通って出てくる言葉、身体を通って出てくる考え、コントロール出来るものと出来ないものを息に寄ってつなげてゆくこと、。
久々に武満徹シガーロス赤塚不二夫と母性、戦争、。
夜の訪問者に少し躊躇う、思いやる行為、。
長く時間をかけて呟き録音しつつ歩き帰る、川沿いの桜にゾッとする、何時まで経っても桜のかもす気配には、。同じ呟きの録音でも、内側と強く向き合いながらの呟きと、外部に開きながらの呟きとではまるで異なったものが出て来る、。"なりいる"、"むだをする"、"わくをはずす"、人の身の器に夢幻や他者が聲が宿り、人が来ないと云うこと、。
昼、竜田唐揚げの山菜あんかけ。夜、トマトと胡瓜・ひじき・豆腐とプルーン・マカロニサラダ・浅蜊の味噌汁等を頂く、。知人が多々国会議事堂前に集まっていたと伝え聞く。

四月七日(曇り)
車窓越しに桜並木、川を越え県境も越える、。一日中地下室、。ひどく疲れ且つ何処かしら身体に黒い陰りができる気のす…、人間と社会をもっとより良いものとして捉えられぬものか…、"顔"に就いて思う…、ある人は(人は二十五も過ぎれば自分の顔には責任持たねばならない。其の人の生き方が其の人の顔をつくってゆくものだ、)と話してたけども、こう云うのも何だけど(此処迄やって来て所詮此の程度の顔なのか…)、と思ってしまうのであった…。/沖縄の話、脱力と意識、呼吸、骨盤と足裏、腕の重さ、軸ー芯ー幹をつくること、。終電にて座る。玄米と唐揚げのお弁当頂く。

四月八日(晴れ)
(夢、大津波直後の銀座、大量の遺体の上を歩く、亡き女に彼女の琴を添える、一度その場を離れるべきと急ぐ、。深夜の人気の全くない銀座を自転車で抜ける、)。
人間とは何か、人間の中の自然、人間には何が可能で何が不可能か、人間と自然とが共に生きゆく姿とはどのようなものか、もうこの何年もずっと考え続けて居るし此処迄来ればきっと一生考え続け動き続けるのでしょうけども、。然れど此の一年程で大きく変わって来たと云えるのは"じめん"に就いての感覚、。人間が生き抜いてゆく為の、"じめん"、。ことばを届けること、口を閉ざすこと、叙事、。生き延びる為の音、。閉じたもの、開いたもの、。

四月九日(晴れ)
(夢、犯罪心理、フィリピンの人身売買について、密室に残っていた人、MM師の書物、PPTRの姿、)。
いらしてくださったみなみなさま、どうもありがとうございました。
なんだか風呂敷広げたものの収集つかず粗雑な部分も大分出てしまった印象もあったけれど、たくさんの大事な気づきも生まれました。取り急ぎ、。
献身すること、全ての音は跫音、愛の風景の立ち現れの為の、演じることに就いて、うた、流浪の民と異国の香り、。

四月十日(晴れ)
みんなそれぞれのあるべき場処であるべき姿で輝く権利があるはず、。
子供がとてもお行儀よく座っていたのでニコとしてちょっとお話しする、かわゆすぎる。上手く普段の日常に戻れずに、本日はグラスを割ってしまう程…。 人と、ものと、動植物と、自然現象と、自らと、どのように関係を結ぶか…、その構造はわたしにとってすべて恋愛の構造と一緒、。何処かにムリがあると忽ち歪みが生じる、。共に、如何に踊るか、或いは如何に踊る場をつくるか…、。なんだか今日は、自身が踊り手であるに留まらず、映像によって世界を踊らせようとしたマヤ・デレンさんのことを考えてました、。それぞれにそれぞれの、世界の踊らせ方がある気がする…、。それぞれがそれぞれなりの世界の踊らせ方を見つけて、そっと実践してたら素敵である、。でも、にんげんがほんとにムダのない自然な動きに還るにはほんっとに真摯な努力やら繊細な感度を育てることが必要なのと同じで、世界を踊らせるってこともやっぱり、それぞれがちゃんとそのことに責任持って真摯に、丁寧に取り組んでかないと、な、。 などと、帰り道の夜桜を見ながら、。

四月十一日(小雨)
引き続き、あまり上手くからだが着いて行かず、凡ミスの多し。どこぞの局アナウンサーがやたらと訪れる。
小雨、去り際にいくつかの女の子の姿の揺らめく。渋谷迄徒歩。喫茶店にて北へ電話、詩と将棋の書物をめくる、煙りを燻らせる、トイレでからだ動かす、。
『はじまりの記憶』観る、(現実の介入する以前の風景…)と云う表現に魂消る、無機物と有機物、生者と死者、瞬間と永遠、抽象概念と物質、末期資本主義と宗教、中空構造、等々……、(記憶の闇の向こう側の風景……)、そう云えばまだ杉本博司氏の名前すら知らぬ八年程前に倫敦はトラファルガー近くの小さなギャラリーのショップにて偶然見つけたのが氏の『海景』の写真集であったことに今更ながら気付かされる…。
神社にて両親と電話で最初の記憶の話、旅の話。真夜中の帰宅、発酵食品を食らいつつ、雲南省の風土の悠遠さとその下で生きる人間の営みに溜息の出るしかない、。