山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

8月。



1日(曇り)
キャベツの葉に溜まった水は空を映してちろちろ揺れ動き白い蝶でも羽ばたいてきたかと見まごう。
やはり語りえぬものをこそ語り紡いでゆかねばならぬのだと、。ことばにせぬことは逃げ以外のなにものでもない。
2日(曇りのち雨)
朝、霧の中の風景
校舎が水浸しで「台風クラブ」のよう。
中学生は夢を語らない。大志を抱け、。
(僕たちはみんないつでもそうです女の子のことばかり考えている)。
徹底的に調べ、考え尽くすこと。死んでもよしと、。
相変わらずの壮大な山々の狭間から湧き上がる靄たち。雨の向日葵。
草津にて祭見物す。笛が導き、太鼓に合わせて足を擦り出す、火とともに歩む、燈籠で向かえる、お湯を流し込むため。マッコリを手に帰る。
3日(曇り時々晴れ雨)
"口承"について想いを巡らせながら走らせれば、突然の雨上りの空気、いつしか境界をこえていた、(ウェールズ地方を思い出す)、
寺や地蔵さんや墓や滝とすれ違う度に手を合わせる、
山の中へと蛇行しながら分け入ってゆく、この儀式めいた動きの身体感覚、空気はしだいに澄んでゆき、温度もぐんと下がれば辺りの音もしずけさを増し、遠くの音が縦に昇ってくる、
山に入るときはまず挨拶をするものである、樹に触れ、石を拝み、大いなるなにものかに、。枝を片手に持つ、。
米子大瀑布、絶え間なき流れ、図らずも、やはり滝の下、飛沫と滝風に巻き込まれ、大きな流れがすがた揺らせば、それらはどっと押し寄せてくる、一瞬窒息しかけるのはいつものこと、85mの壮大なるビロードの自殺者さん、わたしはあなたの速度をちゃあんと見て取ることができる、それに触れる、
にんげんよ、もっともっとおののきなさい、もっともっとどよめいて、もっともっと感じなさい、踊りは内部に入り込んではじまるものだ、空と色が出会う磁場、産み出される場、。
御神籤を引く。末吉。
山小屋にてオムカレーを食しつつ、熊楠読み進む。ソフトクリームの女の子たち。
現在、曾祖母が手作りして使ってた布財布を使っているのですが、あやまって泥の中に落とす。江戸を想う。
先日までうちで飼っていた牛を食らう。感謝は絶えない、うまし。白波と枝豆。
4日(雨のち晴れ)
時空の層がいくつもできては、表と裏とが反転してゆくようなそんな体験、G.C.。
息を吐くと同時に前へと進み、ナイフを入れる。
植えるということ、踏むということ、突くということ、、、産み出すために、鎮めるために、。
白菜を植えるのがこの上なく楽しく熱入るのは、踊りの稽古を思わせたからかもしれぬ。
白き三日月の美しき。
5日(晴れ)
泥に嵌まったトラックを出す朝。蒸し暑し。
レタスで完全に切れる。疲れた。
近頃、運転があらい。自らの性格の悪さやいい加減さに辟易する。"遊び"とは何か、(遊は絶対の自由と豊かな創造の世界である。それは神の世界に他ならない)と云う白川静氏のことばを思い返す。
(夜に見る夢はすべてくだらない)と云う野口晴哉氏のことばを思う。
魂と魂のやりとり、。久々に電話す。厳しさが足りぬ。詩を紡ぐということの恐ろしさについて。
6日(晴れのち雨)
六十数年もの間、同じことを祈り誓いつづけること。子どもらが、人間の可能性を信じてる、などと述べるのでどっと涙溢るる。
いつも扉は開け放ち、いつも窓を開け放ち、道をつくっていることに気付く。
気象情報。土砂降りの雨により午前で仕事終わり。
いつにも増してものすごい水量をみせる近所の滝へ、踊りに。結界を張ることについて。課題はあまりにも多く道程は険しい、挫折。
J.C./G.Y./Y.O./M.I.、……。車窓の風景にレディング―ロンドン間の記憶。夢みる雨。
バレーの木村さんに似ている。
7日(晴れのち雨)
炎天下にて白熊を食らえば疲労回復す。
農業は囲碁のようだ。
空より紙を引き裂くような音の轟く光。窓ガラスの曇る先の針葉樹。
前日につづきgozoCineを観る。心中、道行き、。長風呂しながら折口読む。
8日(晴れのち雨)
悠々としつつ遠方に雷光の落つるを見ゆ。
桃に被り突く昼。ガソリン入れる。
雨の中高速でサニーレタス採る。一日がとても早し。
9日(晴れ)
夢、忘れ物は消えていた。
朝焼け、木洩れ日の強さ、映写機から流れ込む光のように。
泥沼のぬかるみのすさまじき。
注意深さが足りぬ。集中力。車運なし。
アゲハの死体を拾ってあげるの、。
日々、全身全霊で。こうしてはいられない。
10日(晴れ)
早朝より煙の匂い立ち込める中走らせる。
十八度から三十二度の世界へ。
原発切抜帖』見る。ガラス細工の話を聞く。タイパンツと帽子購入す。
高速を疾走する夜行バス、漆黒の闇に点々と浮かぶ夥しいたましいみたいな灯し火たちの毎瞬駆け抜けてゆくこと、このまるで異形の根の国のような、どこでもないあちら側を駆け抜けてゆく、。賢治論読む。
11日(晴れ)
屋外にて、する。
巨大なトノサマバッタと遭遇す。
インゲン採りに救わるる、分け入ることのこころの躍動、。
きちんと説明することばを持つこと。人から人を渡り歩くことについて、。
蚊を殺す、死の側に瞬間落ち込んでゆくことを生きる体験、生きることの反転、。殺すのならば、その命をも背負って生きること、それが義務。
寝落ちす。
12日(晴れ)
人殺しを殺す夢。屠殺みたく。木造図書館吹き抜けに張られた縄、学校と踝靴下。
昼下がり、シガーロスを爆音で流せば廊下の人々はみな死んだように横たわり身動きもしない眠りに落ちる。水が頬つとう。
炎天の下、草を刈り続ける。
詩における「批評としての"リズム"」について述べる小野十三郎さんのことばをよく思い出す。音楽でも生活でも、リズムを生む躍動、律動は衝動から来たる。また、衝動を突き動かす為に意識的にリズムに導いてもらうことも、。リズムとは、杭を打ち込むこと。刻みこむこと。リズムの道は血みどろである。
向日葵の花は枯れども種はこれから熟しゆく。倉庫の整理をす。
西瓜を頂く。
月明かりの下に立ち小便する、清水宏作品を思い出す。
13日(晴れのち曇り時々雨)
睡眠時間が一時間違うだけで体調も敏感に変化す。
風がからだの中を吹き抜けてゆく、ハッカ飴でも食べているかのよう。
虚の論理で実世界を紐解くことは可能だけれど、実の論理で虚のヴィジョンを切るのは違う。
刃元を研ぐ。青い花の写真ばかり、あの子の為に撮る。
ご飯前、草津の湯に入る。夜分の線香花火の儚き。
集めている石を見せたら、(ええ趣味やなぁ、)と云われたので、今日はわたしの石記念日。
14日(晴れのち雨)
一仕事終えてトラックに乗り込むとラジオ体操の早朝、ラジオからの浅川マキを耳にす。
サニーレタスは地を這うように。
蜻蛉の群れ。
町の花火大会、想像以上に規模がでかくて感激す。光と音と振動と、。粋な人もいるものだ。
15日(晴れ時々雨)
朝も早からぽっかりとお月さん、おつかれさまです、。
線香花火の軌跡を形にしたようなサニーさん、。
一五日、遠方FUKUSHIMAへと思いを馳せていた。「おもいのまま」、ということについて、改めて思う。「三」という数字について、。挫折よ、来やがれ、もっともっと深く降りてやる、。
雨の中、準備、土に溜まる水、地面を這う油に燃ゆる炎、タルコフスキー……。
BBQす。にぎやかに花火する人々を離れて見ている、煙りに覆われる影の賑わいの幻のような姿に、そっと涙落とす。遠くで音を鳴らすしか能のない人間である、わたくしは、。
16日(晴れ)
昨夜遅く、猪たちの群れに遭遇し、誤って一匹轢いてしまった、とのこと。朝方の血の痕跡、。
からだの輪郭線沿いに螺旋を描くようにしてモンシロチョウが昇っていっては時々とまったりする朝。
本日も一日草を毟る。A氏と最後。青空にぐんと細く直立せよ名も知らぬ雑草の花、うねりを見せる先端、もし"忘れる"ことができなければ私たちはパンクしてしまう!
部屋の掃除をす。あさりのパスタ、餅ピザ、ブロッコリーと豆乳のスープ。
17日(晴れ)
夢、体育館の張り巡らされた写真の奥まった特設カフェバーにある白いソファーで吉増さん、屋外のストリート系身体表現アートC.G.、学祭的BBと古田さん、。
早朝、陽が登るような時刻から、ゆるりゆるりと日曜のように計画を立てる、弛緩しながらも充実した時の流れ、「奄美フィルムI」見る、(わたしが持ち歩くものは何だろか…、カシュカシャンのヴィオラの流れ…、記憶の(歴史の)大河……、)。
渋滞でいつもの倍かかる。M氏と再会、ハンバーグ不完全、場・空間・間、彫刻、建築、観察すること、限界芸術論、演劇、演じること(パフォーマンス)、中心と周縁について等々。
雲場の池へと木漏れ日の中散歩、苔や茸や樹の蜜について語らいながら、鳥たちの声。
峠にて、遠く何処までも消え入りそうに青白い層と連なりし山々の静けさにしんと聴き入り、ご神木の前で「不動」「生きて死ぬ神、根の國」「根=寝」について等語らう、。
夕闇の白糸の滝、立体的に包み込むようにして幾重にも横連なりに糸を引くが如く流れ落ちてくる滝々の肌理細やかな静けさの轟音に眼を閉じて包容さるる、この涼しさを通り越した肌寒さ、気付けば水辺を渡り、うろの方へと近づき水や苔や岩肌に触れている、じつと眺め入る、というよりも、入り込む、内部に、水面に無重力のように浮かび大きな流れをつくるようにして旋回する落葉たちの薄さ、表面張力的、透けて見える水底との錯覚、
温泉、星がほしかった。サウナにて胡座を組む。まるで戒められているかのようだ、と…、。
晩、飲みながら、舞踊について、N.A.について、「他者の苦痛への眼差し」について、留まる者と去ってゆく者について、物語について、等交わす。
18日(晴れ)
俄然秋めく。
燕の子らは追っかけっこしながら飛行の練習を行う。幼い天道虫は気が動転していた。
汗だくのため、冷たきシャワー浴びる。
ハヤシライスとキムチ風味のサラダと西瓜と葡萄。
何処からともなく畑の真ん中に現われる地元民の不思議なこと。
半死の蝉で遊ぶ猫たちのかわゆきこと。
19日(曇り時々雨、寒し)
夢、再び吉増さん、酒井さんの写真、。
壮大なり山々の靄、デルヴォーの空のようなグリザイユ。
キャベツの葉に溜まりし水で溺れている蚊。
草むしりしながら歌詞しりとりをす。こんなにも大量の陽の光と水を蓄えて草はみるみる伸びる。毎日のように、"あの"ことばかり考える……。努力もそこそこに一人前になろうだなんて言語道断。
生きてることそのものが「祈り」であり鎮魂である、と数年前に書いたことは未だ自らの核にありながらも、その次に来ている気が…、そのヒントは人間・想像力・「ない」ものが在る(「空」)こと、…辺りにあるような、、、。
早々に寝入ってしまうこと多し。Cineを見ながら。
20日(雨のち曇り)
長袖を着る。雨の中のトノサマバッタ。トラックのフロントガラスに張り付いた木の葉とガラスの狭間で結びつける水の張力。脚長蜂の巣を見つける。
早上がり、"場"を探して歩きつつ映像を撮る、軌跡の蜘蛛、薄暗闇の倉庫内で稽古、わたしはひとりである、が、孤独を前提としながらもモノローグでなく次元を超えしポリフォニー(、のようなもの、)を奏でるべし、他者性の足りなさ、"間"にて、裂け目にて、生ずる踊りを、誰かを携えよう、「怪談」。
祖母からの電話に胸熱くなる。
21日(雨)
夢、J.Zornさんの部屋に張ってあった白川静さん、小春さん、。
朝から大雨で真っ暗でひどく寒し。沼の如く足を捕られし畑に入る。
道路で死にかけたミミズを拾い(生きやがれ、糞野郎、)と畑に投げる。
Aさん短期にて来る、(どこか兄に似てる、)と云われて嬉しいのは何故か。
車がたくさん土にハマる大雨の昼、ロバート・ワイアット聴く。
如何に「視る」か、如何に「聴く」かは永遠のテーマ、こころの動き、注意深さ、張り巡らされしアンテナ、。もっともっと徹底的に考えて、徹底的に、浮遊させてはいけない、しっかりと刻み付けるように思考する、引き裂かれながら思索をつづける、。(祈りが足りない、祈りに何か混じっている)、という灰野氏の声の突き刺さる。
小便から湯気の立つ夕刻、。バナナパウンドケーキがおいしすぎる。この辺り、昔は御飯時には箸と茶碗を持って子どもたちが行き交っていたとのこと、。
長風呂しながら賢治を読んでいると電話、思わぬプレゼントに感謝感激雨霰の嵐。。。「貧しさ」、抑圧することによって新たな感覚を開いてゆくこと、遅さ、遠さ、寄る辺なき状態に身を置くことで細道をつくってゆく、。
写実画家と写真家の特番を観る、前者は吹雪の中に身を晒し、後者は戦死者たちの気配に満ち満ちた鍾乳洞に分け入ってゆく、何故、せねばならぬのか、。
山手線は一九〇九年辺りだとか。
冬の雨のような肌寒さに音に匂いにウットリと魅了される、いつまでもこの時が続いてほしいと。
22日(雨のち曇り)
睡眠時間の少なく記憶喪失に陥りそうに、あらゆるありふれた日常がまるで初めて見る光景であることに驚きを禁じ得ず、。
右顎下が痛む。
草むしり、ようやく一列終了。蝉たちが一斉に鳴きはじめる。カボチャのパウンドケーキがおいしすぎる。
草津温泉、気持ちよし、この辺りの昔の話を聞く。
"黒子小声"に耳を澄ませることをはじめる、まさに暗幕の裏よりわくわくひそやかに耳で気配を覗き視るようにして……、視覚的にも音声的にも吃っている光景が浮かぶ……、目を瞑って、(あぁ、そこが一番の特等席なんだぁ、)という声を思い出す、。
23日(曇り時々雨)
夢、バーミンガム工業都市)から火山沿いに走る電車、携帯電話の忘れ物、仕事仲間。
朝方、すこし暖かし。
畑で見た二匹の野良犬、孤独な烏は二羽ずつ空を飛んでいた。
昼、束の間暖かし、Aさんとさよなら。
夜、こんなにも寒いのに、水と火を焚いた匂いがするから。深夜の電話、少し寂し。
24日(晴れのち曇り)
横山大観の絵に描いたような靄の中に浮かぶ山頂の朝(大観はあまり好きじゃないけど……)。青き朝顔の咲き乱れる。
晴天、久々に汗をかく。差別ということについて開き直る人間に対し大人げなくブチ切れる。
サクリファイス、ということについて……、私個人のこととしてかすめるのはやはり即心仏ではあるのだが……、いや"それ"は自己犠牲というよりも、ひとつの戒めのようなものとして到来したのかもしれぬ……、あの時のあの人も、こんな風に感じていたのかもしれない……、と、。…自分の事なんて本当にどうでもよくて、。(『一瞬の夢』という映画の、部屋の中の、とあるシーンが好きでたまらない、……)。
浅間山の消えている、亡霊のように聳える山々、風はない、驚くほど多くの燕たちが空を飛び交う、木々は揺れない、地球は一体、。
幽霊について"もの(存在)"としてでなく"こと(現象)"であるという意味では信じている。
25日(雨のち曇り)
からしょうもないことに心乱され苛々とす、私が嫌だった人間はこうした人たちだった、。
在りし日の武将と同じ名を持つ古い町を抜ける、。寂しさの薄い膜のようなものが胸の奥の襞のような場処にうっすらと幕を張ったような感触の消えず……、。
見知らぬ町にて人を待つことの不思議さ、鰻を食しつつ話を聞く、善光寺と万華鏡の曼荼羅、鳩と戯れる少年、レアチーズケーキに蔓延の笑み、すぐ顔に出る、重たいリュックの黒、。
延々と消えぬ虫の声とチャイコフスキー〜バッハの大爆音、町の灯り、アパートの灯り、お通夜の灯り、真夜中の見えない滝にライトを当てる、すさまじく巨大な恐ろしいまでの気配の影にそこを逃げ出すように後にする、。
酒を飲まずには寝付けぬ晩のレナードコーエン、毎日の生活に、。
26日(曇り時々雨及び晴れ)
夢、インターチェンジ、年増しの女の人たち、遠く、水の見える場処。
泥に足を取らるる、ひどき土の臭い、狂ったような豪雨に打たれ前も見えない、でも好き。
(太宰の悩みなんて筋トレすれば治る、)等と素っ頓狂なことを云った三島のことばを思う。
蟋蟀が柵を上れずに駈けてゆく、毛虫が死んでいる、。(想定外)に笑う。
感情に翻弄されるのでなく観察してみること、。優しさと諦めについての便りを。
27日(うっすらとした晴れ)
夢、都市デパートの階上のような場処にてGKBの祭り、巨大なプール、足元の空洞と髑髏、オプトラムのある場処、。
ホースを伝ってうごめく蓑虫。大根からサニーリーフ、白菜からセロリ、植え仕事も次第に減ってきた。
昼間に段ボールの中で電話、長いスパンでいろんなことを共に考え経験しつくってゆきたい、と思う、願う。願うこと、待つこと、受ける側であること、面倒なことの有用性、等について思い巡らす、終日頭から離れぬことあり。
28日(晴れ)
夢、早朝家を出るため朝食は取らぬつもりが間に合ったので結局共に食べる、女の人と。
六時過ぎに出る、トンネルに響く重低音、湿った空気の匂い、足元を吹き抜ける風、見知らぬ水芭蕉と伝説の里、山の中の秘境、何処までも上ってゆく田園の揺れる、ひたすらに水の流れに沿う、犬の散歩をする地元民、子ども、鬼女が隠れていたと云う古い神社、御神籤に百円を入れたが出て来ず、騒音を巻き散らすバイクの民は何をしに来たのか、白馬を通る、湖の見えてくれば懐かしく嬉し。
「原始感覚美術祭」、写真と映像に見入る、生物のような水の姿、水面の波紋、花の呼吸の律動、。なまずみち、水の道、。水、火、土、木、藁、炭、陰、そして風…、このマツリはむろん湖畔でのマツリではあるが、それらを大きく包み込むようにして風を感じる、何処にも彼処にも風の道がある、。大量に草を燃やす民さんたちにも有り難いものを見せて頂く、この風、匂い、音、色、。テラスにてナンとカレーを食す。
山人、陰に隠れて撮る眼、蛇と境界と臍の緒、胞衣、胎内と蚊帳、蝶は空気を跨ぐ、揺れる地面と揺り籠、石は沈黙しながら意志を持つ、。露西亜的感性について、映画の音について、幾層もの皮膜を経験によってつくってゆくこと、遅さと深さ、。石を投げるために生きるのか、それとも…、について、括弧付きのことばを還すこと、。胎内からの眼、胎内の中を、生と死のあわいにて踊る、土方さん、二三一人の者たちのことは片時も忘れたことがない、命を助け名も継げずに去って行った人、、矛盾は矛盾ではないのかもしれない……、等々。
星屑のような感性の集まりだな、と。詩人の微かな涙、何もかも詞(うた)にしてしまう方、このような粋な感性にいまだ触れ得ることに感嘆の溜息、沈黙と不動と風のそよぎを備えたものたちへと嫉妬を憶えしこと。賢治さんのような農の民と意気投合させていただく、。Rさんにも挨拶す、不思議と行く先々でお見掛けすること、。
夜風の中、山の奇道にハマる、A氏とことば交わしつつ三時間程で思いの外早く帰宅、紅い財布を忘れて来る。
29日(晴れ)
日々を刻むことによって、そこにもうひとつの眼をつくっているのだ、ということに、。
溢れんばかりに盛られしモロコシの山を肩に負うあまりの重さ。
遊び感覚ではできないので、そんなには気軽にできないのです、やはりやるからには、それなりの場の空気を少しづつつくってゆかなきゃならない、。
数ヶ月撮り溜めていた映像たちをA氏を交えて観る、対話しつつ、。
30日(晴れ、涼しき)
レタスの葉を這う蛞蝓をナイフで裂きそうになる、至近の茂みより雁の群勢い一斉に羽ばたきその音の激しきこと、巨大なミミズの土の中から這い出してき、茶色く大きな蛙逃げてゆくさまに見入る、。
比較的容易き仕事の回ってきたる午前、マルチ剥ぎの芸、草毟りに無心となる午後、。
可愛いと可哀そうの矛盾なき共に在り方。
夜、草津温泉の湯にて刺青の気合いの入った親父さんと談話す。
武満さんの二つの側面、リヴァランの最後の沈黙、カビリアの夜に涙、奄美フィルムに寝る夜。
31日(曇り)
朝、莢隠元の乗った軽トラにてAを送りゆく。
国道まで送って頂く、野菜を郵送し浅間牧場まで徒歩、小川畔にて賢治を読みつつ二人を待つ、橋の上で会う、丘の上からの眺め、揚羽の幼虫、吾亦紅、幼き頃に歩いた場処、。
蕎麦屋に数時間、歌人的感性について、農業と芸能と神道について、自然に対する畏怖、結び(つき)について、これからのことなどについて、。馬、兎、山羊、羊、犬、。
馴染みのコテージにて仮眠、温泉、湯は誰のものでもなし、ドビュッシー弾く、卓球と絵本、夕食はトマトとオクラと茗荷のコンソメゼリー、タマネギとジャガイモのキッシュ、ジャガイモスープ、ポトフ、虹鱒の揚げもの、オレンジのムース、美味し。雨降りの中の心霊話、この方の眼の輝き、送って頂き感謝、さよなら、。