山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

9月。



1日(雨)
朝方、見上げれば電線にて身を縮め雨に耐える小鳥たちの群れ。
出荷量少なし、田圃のようなぬかるみの畑に植える、倉庫の整理等。午前上がり、オムライス。
消耗品買い出し、擦り切れたタイヤの怖し、気付けば図らずも渓谷へと辿り着き導かれるようにして下りゆく、水量増した川へと足を浸し辿る、複数の時間が見える流れ、激烈な、直立したり倒れた木々を手に支え苔蒸した岩石を触り縁をかいくぐるように進む、お不動さんの見えてくる、激流に折れた巨木を投づる、。
息と声についての書物一冊、映画を一本、薄暗い夕部屋、脚長蜂が入ってくる、雨音の微細な変化にこころ動かされ、。大蒜と浅蜊のパスタとコーンポタージュ、自分の音を久々に聴く。
夜分、鮫が大量に上がったという港町へとメール送る、犬の遠吠えの止まない、。
まだまだ生活が早い、もっともっとゆっくりとじつくりと奥深く……、。
2日(雨、風強し)
夢、Cine、映像を撮る、蟻になる、泉のある、車、石畳の学祭。
台風の気配の少しずつ近づいてくる午前、雨の一粒一粒の重さも光の暖かさも互いに背に受けながら、。
やはりこの辺りの土壌のセシウム量はやばいらしいと聞く、それでもこの場処に居ること、五年後十年後にどのような意味を持ってくるか、。
どのように応答してゆくか、先週思いがけずも助手席に乗せ走らせたYさんと語らったこと……(MsYmgc、SfGbdln、AlksndrSkrv、AlksndrPshkn、MkhlBkhtn、RbrBrssn、JnLcGdrd、TrTkmt@MshrSnd、)、……ものを書くこと、刻むこと、音を出すこと、。
もろこし送る。気難しい人間、怠惰な人間、。当方はある人々から見れば湿っぽいが、またある人々から見れば根の明るい性分とのこと、この矛盾の面白き。
風の唸り、居たる場処から散らばる物音、緩やかに絶え間なく変化する雨音、激しい風雨の中半ば飛ばされながらも燕たちが風に向かってちゅんちゅんちゅんと必死に羽ばたかせている姿は空を飛ぶ塵の如し、そこまでして何故に。
『ある映画監督の生涯』『生まれてはみたものの』観る。
3日(雨時々曇り、風気紛れに強し)
夢、福島の海辺にたくさんの公募作品、BA、ダイブ、食べもの、。
畑に溜まった水面に細波の寄せて転々と表情の移ろいゆく。森の中では鳥たちが会話し続けている。
泥の地面に刻まれた谷間にトラクターの嵌り、只管幾度も往復す、外は雨に内は汗にひどく塗れ、此所に来て最もしんどし。自信を喪失しないこと、人の可能性、。
窓を開け、雨と風と鳥の寄せては返す漣のような声と共に珈琲煎れる。『有りがたうさん』『簪』観る、神と自然と人についての書物一冊。
カタカナで刻むことは私にはまだ出来ない。法一の耳は何故捥ぎ取られねばならなかったか、耳、貝殻、。相対性理論を考えの根に据えていたつもりであったが其れを「相対」と捉える事自体人間の狭さかもしれぬ。
不可視なものを"読む"こと、手掛かりを通して、気象学的感性、地質学的感性、。台風、二つの高気圧に阻まれていまだ留まる。雨は気紛れに水量を変え、幽霊みたい。
4日(雨時々曇り)
夢、現実で昔初めてライブをした場処の下にある中華、ガランとした倉庫みたいな食堂、中学時代の親友。
連日、桃色から黄色い空の朝。絶えずざわざわとして踊っている、歌っている、世界、視る、眼を閉じる、戯れること、遊ぶこと、その為に此所にいる、滝の様に落ちてくる雨の大量な水たちに撃たれながら、此れに身を置く為に此所に来たような気のする。相対と絶対の関係は胎蔵界金剛界の関係のようなものかもしれぬ、。
自らの取るに足らなさに足掬われぬように、気付けば高校時代と似たような立ち位置にいる、孤独と闘うこと、。
『熊送り イヨマンテ〜神と二風谷アイヌの語らい』聴く、『無常』『少年』観る。
夜、電話す。ブルガリアンヴォイス。あなたの孤独を深めてください、と云いたいのです、。
5日(曇り時々雨)
夢、イタリア大使館横の道路、尊敬する人は杉原千畝さんだと云った、幼き頃によく家族で訪れた洋食屋さんの名を幾つか、。
早朝の濡れた路面の漆黒に白い光がぽつりぽつりと反射して、次第に靄に包まれゆく、もろこし畑の或る一角の上層のみぽっかりと霧掛かっている、。
主体が女性である曲ばかり出来る、歓びが一つ出来れば悲しみも一つ、十一月について、。
空が完全に曇に覆われていてもこれ程の明るさと温度、太陽、。地球自体、その全体が"そういう"変動の時期なんだろうな、と考えている…、地形の変動はその一端に過ぎぬ。
温泉の湯の熱き。二十時半には寝てしまう。
6日(晴れ、風強し)
夢、京都の馴染みの滝へ街を抜けて。
早朝、冬のような空気で寒し。薄紫色の空、薄ビリジアンの雲、世界を鏡のように映した泥溜まり、山の向こうに見える村の超現実的な黄昏の如き黄金色に浸される、低い位置で山々の前に横長く伸びる霊気を帯びた真っ白な雲、新たに産まれてきたような赤児の浅間は紅く燃え細密画みたく細かい線までくっきりと見える、大地を光の線がゆっくりと進んでくる、ゆっくりと覆ってゆく、次第に私たちを包み込み、暖かい触手が触れてくる、ぐんぐんと伸びゆく影、人の影の眩しきこと、太陽はこんなにも気持ちよく有り難いか、青い空は、見なれた道が初めて見る場処の様、陽光とはそれだけで芸術か、。畑によって異なる音、空から鳥たちの声は活き活きとしている、揺れて時間の伸縮し重なり合うチャイムの音、山ひとつ越えた中学校の運動会の練習の音の風景は遠くこちらも揺ら揺れる、大根は空洞だ、サングラスしている女性が分からない、風は強いが乾いて涼しい。
長い便りの書きたし。愛、自立、浜田真理子、。此処に記されしことよりも、敢えて記さなかったこと、記し様のなかったこと、記そうと思われつつ忘れ去られてしまったこと、記そうとすら思われなかったこと、等々の方がより興味深い。記憶装置としての詩(うた)、感覚を醒まさせるものとしての詩(うた)。詩人、修羅の道、。アイヌ屋久島を結ぶ縄文の楽器、。ボンボンは何をやっても駄目だ。
(暇な時とかどんなこと考えてるの?)(数学のこととか)、ぼんやり数式の証明の事考えてる人が居るだなんて、。
黄昏時、人の影となる刻、消える刻、空の眩いばかりの海、半月の眼を覆わんばかりの眩しき、蟋蟀の鳴く、やはり寒し。
7日(晴れ)
夢、Yさんディナーショー、BF上の喫茶にてHさんとA氏ともう一人、早大受験、父、BBQの炭を変える。
二、三分眼を離した隙に数えきれない程の星が消えていた早朝。この朝の寒さ、匂いは是迄の様々なことを思い出させて尽きない、例えば夏のブライトンの早朝、例えば運動会の日の朝、昨年十一月の事…、。
昨日から上空に鳶の声、影送りす、熊蜂と戯れる、落ち葉を一歩一歩踏みしめる度に芳ばしき香りのふわりと広がる、苛立ちし時に限って良い仕事振りのよう、あれは自立と孤立の違いであったかもしれぬ、ただずっと長き便りのこと考える、今わたしの眼から見ている眼は一体誰の眼か、"自分自分"に嫌気の射す、高校時代と酷似していること多くもしや其れを確認する為に導かれたのかとふと。此所数日BBCRADIO3の流れ続ける部屋、PROMSの季節。
黄昏に本日も包まるる、赤桃色に染まる山々、二匹の猫の轢かれそう、夕暮れのスペクトラムマグリットに見た風景其の侭、月の明るし秋の匂い。
8日(晴れ)
夢、野原で恐れ多くもYshrKnさんより身体を俊敏に動かしつつ本気で特訓していただく、集中力、鋭敏さ、精度の高し、身体研究所にて皆さん丁寧に接してくれる、パン屋、自転車の忘れ物、檻と鍵、倉庫のバイク。Sくんが財布と共に送ってくれた"最後の"農業神が祀られたお守り、神社に参る。
妖艶な赤紫に焼ける朝焼け。すっかりと秋晴れる、涼し。出荷量極端に少なし、病気の為。
藁のようなもので柔らかく頑丈に包まれた蛹、木に引っかかってばさばさしている大量の緑と黒のビニールたち、山ひとつ越えた運動会より聞こえしブラスバンドの音が土人差別用語!)の音楽にしか聞こえない、大地に足を踏ん張り耐える重作業に空を見上げればなんと軽やかで開放的な薄らとした鱗雲であろう、。昼、ソウルミュージックと地元とバーの話をす。
草の中を分け入りアスパラを探す、浅間山は巨大な影となる、薄明主義者としての柳田国男と青白き賢治と八雲、境界は曖昧なものだ、日の暮れて秋虫たちの声のなか寝転がり電線のふわふわ揺れるのを見る、くらくらして電柱が落ちてきそう、。ご飯食べてすぐ寝る。
9日(晴れ)
夢、退屈な試験監督、幼馴染のMykTnkちゃん、ロールキャベツ、頂き物の沢山の誕生日ケーキ。
休日五時半起床、プーランク四手ピアノソナタ聞きやらねばならなかったこと整理す。知ることは思い出すこと、身体と境界、師匠のフォーサイス解説見つける、活弁士の如く机を叩けば陽光を反射したボトルの水の中を泡がぽこぽこ昇ってゆく。
人類はこうして何千何万年と生きてきたのだなぁ、と、。半年経ってもまだ続いているという感覚は初めてかもしれぬ、ということばに頷く。
裏の崖を降り行く、先日の大雨による水の通りが溝となり、滑り落り行く、かつて人の訪れた痕跡、苔に覆われた倒れ落ちた木々や岩々、崩れ落ち剥き出しの土の層、忽ち多く蚊に囲まるる、湧き出ずる水の道、木々の根を命綱に土に塗れ、聞こえてくる水の打つ音は近づく、更に急な薮崖を滑り降り、突如現るる忘れ去られた巨大な廃ダム、緩やかな流れも豊富な水量で溢れ落ちる迫力、川の流れと続いてゆく、水の冷たし、これ以上下ることは止める、暫し眺めた後、再び登る、息の切るる、重い苔石を連れて行きたい誘惑、赤土、取り残されし場処後にす。
饅頭を送る、狂ったように花のある喫茶にてトマトスパゲッティ、バナナジュース、長居するも構想捗らず帰宅、「言ひ難き嘆きをもて執成し給ふ」、沈黙に時空間の層を聴取し関係性を吹き込む音楽、夜分まで殆ど灯りも付けずに一通の便りを六時間以上かけてしたたむる。
10日(晴れ後曇り)
夢、災害、大雨、事故、世界、人々、落ち葉、湖、。
ことばの使い方が違いすぎていらっとす。もろこし畑の横は甘い香り、蝉の声の遠し。
遠くの空でごろごろと鳴る。ごうごうと風の幻聴、渚の波のヴィジョン、。
思い込みや夢といった"虚"が"実"の原動力となり"実"世界を変容させうるということ、独りということ、。チャゲアスを聞く。中学最後の夏の終わりに恋をしていたことを、夜の匂いで思い出す。
11日(晴れ)
夢、高架下歩く、明かりの灯るコンビニ、採るものがなく近所の苺農家へ。
一時間遅い午前六時より。採れるもの少ない昨今。草取り、奥に見つけた川、山に谺する声、教育論議に熱の出る、梨を食す、のど自慢は東北の地にて。蟋蟀を捉まえる、蟷螂を捉まえる、小豆とアスパラの後、火を焚く、再び空の鳴る。再び便りを六時間程かけて綴じる、。
12日(晴れ、暑し)
夢、山道、何か(作物)を運ぶ。(とても具体的な夢だったけれど、睡眠が少なけども起きねばならぬ為忘却)。
起きて呼吸が苦し。云いたいことの云えぬ苦しみ。大根収穫の調子が良い、と云われるが、いつもと変わらぬ。緩やかに草むしる。雑草に張り付いた夥しい水の球体が虹色に輝く。六十も齢を重ねながら面白き人生談のひとつも云えぬようでは仕様もない。
あの人は何処となく『ミツバチのささやき』のイザベルと似ている。あれから十年ということは音楽を始めて十年ということ。昼、漸く便りを出すこと出来る。落ち葉の転がる音も秋の虫の鳴く声も水の音に聞こえる。仕事早上がり、怖い話をしていたらtvでも怖い話をやっている。名月は雲に隠れて、饅頭食べる。
13日(晴れ)
夢、Sさんと草取り、体育館の古着市、青いビニールシート、Yさんと剣道、「おい、Uさん、メシ食いながらだと違ってくるぞ、(詩が)!!!」、講義、貼付けること、"俺"と"死(及び電車)"の文字。
午前四時に外に出れば立派なお月さん、暫しぼんやり眺める、ありがとう。
毎朝鳥がすごい勢いで飛び交う時間あり。暑い日の梨うまし。キャベツ畑の蔭でモンシロチョウが交尾しながら舞う。クエン酸の飴に驚く。昼、賢治開く。草取りしつつYes「Close to the Edge」全篇口ずさめば涙腺緩む。黄金色の稲穂の垂れる。
温泉、温度丁度良し、真っ暗闇の水辺に出ればあまり良き気は流れていない、唾液を投じる、平日でも満席の焼き肉屋、ホルモンの絶品、食後にアイス。月明かりで電信柱と樹の影が伸びている。
14日(晴れ)
夢、会、車に女の子を乗せて土の道をバックで進む、留めてから一人通る途中の小さなレコード屋二階、ヒッピー御殿ライブあり大麻渦巻く、眼が逝っちゃってる、恐る恐る後にす、電車、新聞読む、一番後の席インドネシアからの子連れの人たち、いつも云えないことを云う為の場所、久々に帰ったUさんとデエト、今の部屋の辺り、フェリーで帰る、先に行かせる、わたしは人の気持ちが分からない、KKくん、イタリア料理店から連絡、行こう、。
身体のどの辺りで聴こえるか…?山の頂上がぼんやりと消え入りそうな桃色と見える。
本気でぶつかり合うことの気持ちよし、泣き面のうつくし、でもアホらしとも思ってしまう、捻くれ者。性分として、速度を求める生き方は違う。機械の作業音が山々に木霊する。入道雲
"想いの強さ"と記したが"想いの深さ"とした方が良かったような気のする。一歳を過ぎた子が立てるようになる、表情や仕草がみるみる豊かになりゆく、初めて"思い出す"ということをした瞬間のこと!を見られることの有り難し。爪の土を除去。旅、宮本常一の父のことばを思い出す。
15日(晴れ)
夢、林の中の吊り橋、"お父さん"と友人、滝の際に突き出た岩に乱咲した白い花を水を渡り採る、食べる為、野菜処、出遅れて怒らるる、水没した橋を渡る、。
あなたのいる処が、わたしの帰る処だったらいいのに。
バスに揺られ目を閉じて黒子小声に耳澄ます。川に沿って白い鳥の飛んでゆく。
書店にて二時間程。道行、柳田と賢治のわらい、貧しいオペラ、軌跡、中上、三冊購入す。
じめじめとして暑く都会の風の獰猛なこと、数ヶ月振りに挨拶する神社。部屋で整理す、祖父を忘れない事。
覆される。はっきりして良かった。感謝する。
三時間半喫茶にてアイスミルク、"せぬ隙"、か...、渋谷出身の声楽家と広島出身の実業家氏の対話。
久々に歩いて帰る道、変わらぬ道、今まで本当に色んな思いで歩いたけれど初めての心持ち、最後に歩いたのは震災の日であった、好きだった襤褸アパートが取り壊されている。
午前三時まで公園の遊具の網に横になり、酒と煙草と鏡のようなお月さん、雲がゆっくりと流れゆく、転換期かなぁ...、と、ふと。
ただ坐って見ていたい、おそらく仕事の手に突かぬ、進むことを止めてはならぬ、。
16日(晴れのち曇り)
朝方は準備。寺と神社。『阿弥陀堂便り』『エッセンシャルキリング』鑑賞。花見百姓。内部の音と外部の音。たまたまやっていた祭り。
味噌ラーメン食す、イマイチ。
喫茶ライオンの珈琲は煙草と共に啜ると絶品であることを知る。煙草四本消費しつつ執筆、心地良く堕落しようなどと甘きこと考える。マーラー交響曲第九番
黄色い色鉛筆、シュガーバターサンドの木購入、ペルト『テ・デウム』。
『わたくしという現象/じ め ん』、夢の島にて、ひとり歩く、一千人越えし人並みの中にも知人がちらほら、唐傘お化けを見た子供、白き旗を渡され芝生を歩む、ばさばさなる音、近づいてくるぶーんとうねる音、何かが起こる気配の満ち満ちる、開けると、恰もアンゲロプロス映画に入り込んだかの様な光景、野外空間に出来上がる凹み、渦巻くただならぬ音、異様な空気、白い者たちが巨大な空間を円を描くように歩行、わけも分からぬまま自らも哀悼の仕草の一部と相成り…、蠢き出す何百という白い椅子たち、遠方での煙り、灯り、亡霊、ひとを還す、青い幻燈、彼方へと旗を振る私たちは彼方から旗を振られていたのやもしれぬ…、。
武道において、(隙ありっっっ)と隙を突かれるような瞬間。
早急に目的地へと電車に乗るが帰りが急遽一日延びた為、小雨の夢の島に戻る、明日の準備行わるる野外劇場を眺めながら水と煙草、多くの知人と再会、渋谷にて朝まで酒とミルク。
17日(曇り時々雨)
始発に揺られ電車でもバスでも眼を閉じる、ひじき弁当食す、軽井沢に着けば一面の霧雨の世界、寒し。どちらが日常なのか分からぬ。
手に着かないかと思いきや案外働けるものである。
夜、人の多い温泉、遠くの街でカレー、人多し、ナンをつくるのを見る、店員とラヴィシャンカールについて語らう、うまし、帰りの車で爆睡。
18日(晴れ)
夢、女性の裸体、暗い部屋、映画。
畑を覆う朝靄に黄色い陽光が色付く。Fさんのことばに救わるる、優しさは冷たさ、冷たさは優しさ。
朝からレタスにキャベツにサニーに青梗菜へと、調子良くとんとん進む。なんだろう、何かがじわじわと育ってゆく。いまだ、先日の諸々が何ひとつ終わっていない。整理されておらず、しかし確かだ、確かなものを聢と幾つか受け取る。ひとつひとつちゃんと向き合い受け止め考え咀嚼し深めてゆかなければ意味がない、それが最低限の誠実さ。「空を見てください」、が、「目を閉じてください」へ、想像力を、内側の風景を翔ばす。Ysmsさんが水面に石を投じるように、Amyさんは前転するのだと。
先日の足の甲の擦り傷が傷む度に思う。すべて消えてしまえばいい、自分の痕跡が…、と思う。
19日(晴れ)
夢、東洋へ帰国する女の人、暗い木の家、二匹の雄鶏、少し多人数で飲みにゆく、。
桃色の朝空、あまりにも寒いが陽光が落ちてくれば忽ちに暖かし。臍の緒を切断する様にキャベツの茎を切り、赤児を抱きかかえる様にキャベツを採り上げる。暑さのしんどし。
ちょっとしたことあり今更"表現"と"芸術"というものについて考えているが、どちらも自分の行いとはあまり縁のないもののように感ぜられる。そんなものどうでもよい。
草取りからブロッコリーの袋詰めなどしながら雑談、着いてゆけないものについて、終わりなき物語、赤蜻蛉を見る。
メールをひとつひとつ返してゆく。
見知らぬおばあさんと相合い傘の夜。
20日(雨)
夢、難民、黄土色の土、水の流れ、渡ろうとする、油に火を、。
こんなにも大雨なのに少しずつ夜が明けてゆく姿。黄金の緑、寒くて手がかじかむ。風の匂いに思い出すこと。
(以前とはまた違つた音があつたように思へた)、とのことば嬉しき。LnrdChnとMrkHmdばかり口ずさむ。うっとりするような退屈な長雨の音と匂いと情景と湿度温度、午前上がり。思い出さないで、総て元に戻して、と告げたし、戻らぬけども。
齢を重ねるに連れ"明らめる"ということと"受け入れる"ということを覚え、有りの侭を引き受け、その上で自らに在るものを抱え何処までゆけるか、その限界までゆこうとする探求、それは"表現"等と云う様な下品なものではまるでなくて、只単に生きることの謎の真っ直中(=生きていることの際・淵)に立ってその謎と対峙すること、。人として、生きものとして。即興に至ったのはそういうことを望んでのことであったろうし、またその直中で何度も同じ"うた"を導き手(=みちおしえ)として置いてみるのもひとつであった、と。儀式でもなければパフォーマンスでもない。「生きることは纏うこと」と、友人Yは云った、其れ即ち生きることは演じること、何を身に付けてゆくか意識的にせよ無意識的にせよ選択して生きる、虚飾以前のもの、、完全なる裸など存在しない、。世阿弥荘子老子を繋ぐもの、充実した虚しさ。
軽やかな愛よりも重く過剰な愛の側に私は着くのでしょう、(恋の手本と成りにけり)と末尾に書いた近松の側に、。それは優しさとは云わず只の甘やかしだったのでは、と自問す、漸く分かってきた気のする…。
早朝型の人。
21日(大雨・台風)
レタスとリーフを採りブロッコリーを切り詰めて後、仕分けをして台風のための倉庫の整理をして上がる。
(其れは最早生き方であり信念であって、其れに対してはこちらも生き方で答えてゆくしかない)、と語る。
『ホテルルワンダ』、素晴らしいのは分かるけれど文体がどうにかならぬものか。
問題はこの様な天候を前にしてどの様な感性を開いてゆけるかということ、幼年期に見ていた雨の感情が湧く、しづかに高揚す、。
激しく吹き付ける雨風の声を遠方に六十年代武満を夢の中で聴くように、聴こえ方の変化する、氏の音も又遠方からの声(脚音)だから、漠とした声に耳を拓くということ、否、声を漠としたものに還してゆくこと、。映画館の中、庭の歩行、。手塚治虫と武満の死と生、。
少しづつ構想を縁付けてゆく、そのような時期に入ってきたやも知れぬ、聴く。
あの時のあのことばをたぶん私は是からの人生の中で幾度となく自らに問い掛け続けることになるのだろう、とても大事なものを頂いたと思う。地面がゆれる。
東電のやり口も自分のやり口も大して変わりなくきたないものと感ぜらるる。
S氏と一時間程談話。富士越龍の葉書したためし最中思いがけずもメール来る。
22日(曇り)
メールを返し出ることとなる不思議、このタイミング。
WtrsrfcgGrvtyからSfGbdln、音は気配。
合鴨を絞め捌く、毛をむしる、首と脚を落とす、丁寧に感謝して、思いの外抵抗無きこと、紅い血の赤きこと、可愛いとおいしそうの"境目"なきこと、境界とは漠とした領域。
この民家、良質なもので溢れている、音の大きな箱時計、裸の淡い電灯、ドアなき便所、床に敷かれた畳、棚、、。トマトと飯を頂いた、小さな器の品、(賢治の様な、)どの様にして此所に辿り着き何処へ行くのか、。
子どもらと戯るる、コルトレーンーマイルス(と印象派)談話、(生きものニなる、身体全体デ感じる、百姓ノ真似ヲする、きょろきょろト見回す、じっト立ち止まる、言葉が無くてモ唄う、後で誰か二話す)、この場処に辿り着いた先輩たちとの談話、皆自分の生き方を、道、結婚や(恋)愛の話と相成ったりもしながら、。子どもが出来て初めて自由というものが分かった、という話。石と水と土と火と風と木と紙と煙と骨と(、)生きもの、人、土地、かみさまらとの、"間"、原始感覚的に、生まれ出ずるもの、。魚の煮物が絶品過ぎる、黒豆赤飯、ラタトゥイユ、豪華、。(そういう時期)について、覇気。
ArvPrt〜HllrdEnsmbl〜LnrdChnを爆音に走らせる、光(灯)に迎えらるることの感激(、ソウルを思う)、深夜に提灯の灯る神社の妖しき、偶然の街の花火の向かえる、先日と同じ場処で結界の中に迷い込む、前方に車なき方が集中できるものだ、二時間十五分也。星々が所狭しと散りばめられており圧倒さる。
(坊主にするくらいせよ、ボケ)、ということで十一月中旬には坊主にすると此所に宣言。
23日(晴れ)
夢、滝へと水を掻き分ける、ひとり無人の廃れた小さな人工島、海(湖)を移動し行く、危機一髪で飛ぶ、昨晩のMさんと太鼓の鼓動の低音、この列島の、。
朝、あまりにも寒く手のかじかむ、陽が出ると暖かくなるも秋も終わりの陽気、空の青は"うつほ(空・虚・洞)"と深淵の色。
人も少なく和やかで緩めに進む一日の作業。お萩を頂く。山の緑の映え方が変化するのは陽光の入り具合と空気の澄み具合の変化に寄るものだろう、すっかりと秋の空、低し、鰯のよう、陰りのある雲、夕陽の映える、秋風と戯れる人見る。こうして漸く一息着いて世界を見ることの出来る、。線香の薫りの棚引く、家族皆で墓参りの光景、。富士越龍に乗り遅れる。紫と黄色の空から濃紺と橙色の空。
(ハードなビートのものを好んで聴いてた頃もあった)。(毎日身体をつくる努力が続かぬと云う事は踊り手として失格と云う事)。九時を過ぎると起きていられぬ…。
24日(晴れ)
夢、『永遠と一日』の母との一場面だったか、その中にいた。インドの市場通り、角を曲がれば治安の悪き奥まった廃墟、大便所、百七十番、中華料理食す、鈴や軽石等たくさん組合わさった楽器。バイトしていたホテル、ハナレグミ、坐ってものを書いている、相談している、頻繁に掛かる電話、窓の向こうにAOを見つける、結婚しそうな外国籍の女、witanの図書館、。
相変わらずの寒さ、桃色に染まる山脈、静けさの朝、寒風摩擦、蓼だらけ。あまりにも喉が渇く、乾燥していたからか。あっという間の一日。無花果を食べる。ビートのある音を聴く。書道と茶道と写真について語らう、逃げる猫を捉まえる。
温泉、焼き肉にて誕生会合、酒に溺るる人介抱す、此の様な見栄の張り合いは到底理解出来ぬ、。星空の下小便より湯気の立つ。
万葉集吉増剛造を並べて捲る。
25日(曇り)
夢、二人のアイドル、子供が出来ていると電話す、何処までも入り組んだ長き地下水路の緑、外国からの撮影者たち、人、進む。
早朝、曇り空のお蔭で暖かし、朝の六時から巨大な焚き火の煙の上がる、すっかり切り倒されたもろこし畑を沢山の烏たちの群れ、ゴッホみたい。一日遅れの電話。メール、私たちはこうして再び出会い直すのか。"趣味"と"遊び"について。大根を片付け、人参を採る、春菊の草取り、ブロッコリー探し、ブロッコリーは部分が全体を映していて素敵。ここから消えること、存在の気配を消すこと、現象に感情を左右されず、±0、明らめ受け入れること、我を忘れ集注すること、写経、瞑想、坊さん、そこから一気に気配を爆発させること、気配を空間に広げ充たしてゆくこと、等について…話す、しかし±0が必ずしも良いという立場に立つつもりは無い。自分のことなどどうでもよい。
撮影者と云う奏者、短波ラジオの音、重低音、水の音、電子音、解体された人の声、人、自然でなく、。顔というものが面倒だ、顔がうるさい、邪魔、顔だけで見え方が出来てしまう、能面のようなところから始めたい。巨大な足音を聞かせてよ、少しずつ、。
bgがxtrmntrの時に突然短髪にシャツを第一ボタンまで締めて現われたあそこで何が起こっていたのか。
26日(曇り)
夢、キャンプ場の川沿い、入らない、人々の群れ。間違ってウォータールー駅まで電車にて、。ホテルのトイレ、エポケーさん入った痕跡のある個室。車内、槍を持って、Eさんを殺さざるを得ない、頸動脈に槍を当てて何度も引く、殺す、ありがとう。母のピアノ教室の発表会、Wちゃんに忘れられていて笑ってしまう。
畑の中心でひとり音に耳を傾ける、様々な鳥の声様々な場処で様々な鳴き方。心の奥底がひどく鎮けさに充ち風がびゅんびゅん吹き抜けひりひりとす、寒さのせいか、体内にビート入れたし。枯れた花豆採りながら遠くに沢山の烏たちの鳴くのを聞く、沈む夕焼けの甘美なこと薄らと開いた瞼と瞼の狭間から漏れる色彩光。ハミングのきれいな人。
バルトのアマチュア性。オリジナルであるよりもラディカルであること、。写経と書いたが、祈りのようなこころの向こう側で集注すること。自分のことを認めて欲しいという様な了見でやる人が分からぬ。今現在が刻々とごうごうと過去へと流れ込んでいるのをありありと眼に焼き付ける。
赤児の声は空間に一斉に巻き散らされる時と身体の管を通って空気中に道をつくる時とにはっきり分かれる。
27日(晴れ)
夢、新体操カナエワを眼にす、残されし祭明けの小さな神社、裏より分け入る、小さな石仏群、裏から建物の中の急な裂け目、怖い民俗仮面の展示、深川バロン倶楽部と関係があるのか、。病院の前、母、Tさんと遭遇す。(夢の記述等していて一体何の意味があるのか、然れど近頃の夢はあるひとつの傾向を帯びている、)。
朝、浜田真理子を聞く。とある知人の言葉を抱いて。薄き筋雲の朝焼け、ダウンを着る。
先日聞いた山伏の法螺貝の話は様々なことに応用して考えることが出来る。ひとつの大きな課題を頂いた気がする、いや、以前からそこにあったものの輪郭がほんの少し明確になったのだと、TnjyHntnJytkからの便りから、SyskArkwとGzYsmsを渡すもの、。桜島、地面の底から噴き出すもの影、ずっと背を向けていたかもしれぬ、。以前、(俺は都会を捨てられないんだよなぁ)と呟いた知人、私は都会にも田舎にもいられず中庸に居座ります、石牟礼さん、都会は墓場のようだと仰っていましたね、みな喪服を着ているようだと、此所もまた必ずしも凸凹で色彩溢れている訳ではない牢獄の延長にあります、蜻蛉がいれど近代以降のある種の信仰の上に立っています、私の思考や感情もまたその延長にあります。ベルイマンとタルコフスキイのことを思い出したのは子供について考えていた時のこと、。白秋の"故郷"ではなく十三郎の"故郷"、。一mを約二分間かけて進む、この遅さ、。総てを繋ぐのは"からだ"ということ("もの"でなく)、他者の経験を自らの経験へと変換することについて、人間の可能性ということを今日も考えながら。昼、以前ネパールの知人がよくうたってくれた歌がtvのネパール特集でいきなり演奏されて吃驚す。btb聴く、ロックは爆音で。
ひとり花豆を採り続ける、カラカラに枯れ乾いた花豆、ピンクに黒、ネットワーク…、影…、絡み合う長細い曲線群、生きもの……。
あの時のあれはもしかすると正に私の「思いのまま」だったのではないか、何処かで望んでいたことではなかったか、自己犠牲と云うことを、愛の風景のことを思う、深く強く溢れ返る様な咽せ返る様な風の如き愛を大野一雄に見る、重い程の想いの深き愛の風景を内側に持つことで産まれるものを大切に大切にその想いのみに潰されぬよう鍛錬をしながら育ててゆくこと、山の影が怪物のように佇む、人が大地にひとり立つ、正に此所に原点を見つめ返す為に来たのだと、誤摩化しや人生の積み重ねで逃れ様もなく染み付いたものたちを、水と共に初めて舞台に腰を据えたのはいつのことだったか、十二月は最初の産声のひとつだけでも出せればよいのかもしれぬ、生きる。踊るように箱をつくる。いつ斬られても不思議でない場所で詩を読んできたのだ、氏は、刻むと云うこと識る。
グラタン食す。TvtNnのエフェクトやサンプラーを駆使しての声の飛翔がKjHnの絶叫の一発に総て持って行かれ、そうだよなぁと。やるべきことを日々誠実に眈々とやる、ということが出来きらず果つること多き夜々、こんなものか、。
28日(晴れ)
夢、Yさんと恋人であった、味気なき建物の音楽サークルの様な所、一階、バンドをするのか、弟たち、。知る人ぞ知る裏の美しき沖に数人、水の満ちる時、。学校、映画、チケット、。Jが食堂にてネギトロ卵丼をつくる、。
万葉の色。あまりにもレタスが冷たく手が痛過ぎて雪山での野宿思い出す。粗雑なスピーカーからの呼びかけ。子供らの鈴の音に今日も目眩のす。熱帯低気圧生態学、。
羊羹を頂く。地域の繋がりと女性たちと笑い、宮本常一、。大量の人参を埋める穴を掘る人々。言葉は直ぐに自らを正当化する方へ傾こうとする。もうじき迎えがくるんだから、もうこんなこと云う齢に成ったのねぇ、浮かべる涙そっと拭う人眺む。すっかり秋の花に成り暖色増える。
祖父の命日。記述することで思考整理す。眠くて頭痛し。より一層の過激さ=過剰さへ。
29日(晴れ)
夢、島で稽古、Aとゲスト二名、能の摺り足、名前を変える。雨、美術祭の宿舎より、ベランダの才気集団、SとスポーティーになっているSの妹。恵比寿から渋谷へ広尾を通るUさんとふたり、小さな車二台、本日中に帰らねば成らぬ申し訳なさ、家族へ。
嘉手苅林昌さん聴く。言葉を縫う、言葉を巡る、言葉を辿る、言葉を遡る、言葉を還す、身体の中で形を為しきらずどろどろに溶けた無数の言葉の溜まり粕みたいなものたちを掬い上げてみるなど。すべては比喩から、言葉も、人間の想像力の泉。
六十年代武満傍らに白根山登る、人多し、冥土の土産とのこと、どこまでも広がる荒野の白き肌、カーブした火口の頂に沿って、青白い(pale)岩壁は最早この世のものでなし、紫に光るリンドウ、かぶるる赤い実、積まれた小石の塔、彼岸の様相をの湯釜の色、色、色、エメラルドを乳白色に溶かした様な、(土方巽を思ったのは『卑弥呼』のせいか)、消え入る山脈、雪の残るアルプス、弓池に揺れる藻、水面の縞と水底の光の綾、色の旅でありました、色は魂です。
常布の滝、山を下り再び登り歩く、森林に掘られた溝の道、人影はなし、木漏れ陽の岩に染み入る、蟻の塔渡りの絶壁、玉虫の様に輝く黄金虫の死骸、先日の豪雨のせいであろう深く抉られて出来た土の水の溝の道、人と自然、ようやく辿り着いたは遥か彼方に常布の滝の見える森の丘、滝と絶壁の遥か下方より上ってくる川の轟音に「怪談」と鈴の音と共に声や音を立ててみる、テレコの耳を置いて、(トーイ、トーイ、(遠い、東位、問い、))問い掛け、鈴・鐘・金属、鍛冶屋・音楽師、鉱物が一時流動体と成って姿変えし剣・王冠・指輪・貨幣・鐘……、(おーきい、おーきい(おー(き)い)、おーい、おーい、)「アンドレイ・ルブリョフ」の希望、(山伏さんの法螺貝のヴィジョンを携えたホーメイ、)等手掛かりに音で道をつくり行く、この様にして次第に滝の様相の変化して行くは私の身体(眼)の変化、この隔たりをものともせずに滝の粒のひとつひとつを眼に入れる、滝に触れようと延ばす、どれだけの人が辿り着いたろうあの場処へ、手を叩いて道をつくった、。
パンを食べつつ、以前伯母に連れて行ってもらった廃ホテル屋上にて浅間山拝む、小さな神社、。
千ヶ滝、モノトーンの道、匂いの気配に振り返る、木の枝、土、音を立てることについて、拾うというところから始めたい、自らの手と耳で楽器を見出す処から(YのSGとTT)、自らの奥の記憶と響き逢う様な、誰にでも出来るやり方でどこまで深く降りて行けるか、「使う/使われる」ではなくて同等にありたいが…、。
川の上に巨木の倒れ橋となる、。滝は此所に来て最も美しきものと感ぜらる、人の手が入っているだろう、一本の滝が千の筋をつくって流れ行く姿、曼荼羅、近頃よく浮かぶピカソの言葉(探すということは何をも意味しない。重要なのは見出すことだ。)、やはり的を得ているように思え、絶えず下降し続ける滝を囲む凹みの形をした崖が滝風に揺れ動く草葉らと共に大地よりどこまでもうねり蠢き上昇し続けているのを眼にし度肝抜かるる、(大麻とかやってる訳でもないのに!!!これが南方曼荼羅か!!!)、流石に此所で滝には入らねどこれはひとつの舞踏に成り得る(骨だけで踊れるということ、)、音を聴く時に多くの場合骨で聴いている、目を瞑って視ること、耳でなく全身で振動としての風と音を浴び受ける、高い音から低い音まで身体に受けるもので正に足裏から頭上まで全身、ピカソ北斎の眼、耳のシャッタースピード、耳の動体視力、眼は時間を捉え耳は空間を捉える、ロベール・ブレッソンと音の空間性の話、ノイズの中の微かな一本の糸の如き旋律の重要性、
おじいさんに(ひとりだったんかい)と声かけらるる、おばあさんは何度も手記にメモを取っていた。きっと又来るだろう。さがゆきさん聴きながら美しき夕焼け横目に帰宅、涙。音作品はカセットに刻印したので忘れてしまおう。寝付けぬ夜。
30日(晴れのち曇り)
夢、六組程で大きなトイレにてあることの行わるる、朝方には左様なら、バレていなければ良いのだが悲しまれるに違いない、妹も、部屋のハイテク音響機器、いらないcdだらけ、何処かへと繋がる無線tvにてトラブルの起こる、朝、学校に遅るる、行かずに新宿の露店の雑多な飯屋、刺青の器量良きおやじ、子供の髪を切っている、。英語の名前をつくる、手続きに百万おろしに、暗きATMにておろせず、蕎麦屋の通り、馬がカッポカッポ小走りする祭り。
比較的寒さの緩き朝、アクアマリンに紅色の花の加わりきれい、子猫産まれる、。
山の斜面を覆いながら降りてくる靄のかたまり、空に立ち込める雲の壮大さ、遠くで雨が降るのが見える。
一日、収穫作業、あっという間で思いを巡らす余裕もなし、水を汲む。ブロッコリーの原型(イデア)を見つける。
雨に唄えば』でジーン・ケリーは「dignity, always dignity」と云い私もそのように育てられたが例えば新藤兼人が描く人間の核にはdignityなど欠片も無くそこに何もかもかなぐり捨てた人間の姿が。ヴィオラ