山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

10月。



1日(晴れ)
夢、試験へ向かう、Tmrさんいる、その前に上野の安い山菜うどん、Uさんを教室で救出す、ボトルの水を手渡す、。東京、Frtさんと車で来て別れ待ち合わせ、Btさんより電話、赤く細い階段、ピカデリーサーカスの様な薄暗く脂臭い店、星野道夫さんの絵葉書、壊さるる学校。
強き風の静かにささめく朝、こんな日には救急車の音。"がぶり寄り"と云う響きの良し。
一日レタス大根白菜等収穫。合羽のズボン完全に裂ける、靴下の穴も限界。おいしい水は果物。高橋竹山さんを世に送り出した方が初めて津軽は氏の家―ボロボロの納屋同然の―を訪れた際吹き荒ぶ吹雪に壊れる程ガタガタと家揺れて部屋中吹き荒れる中竹山さん掻き鳴らす音を録音したとの話思い出す、これが音楽だ。
燃える様な紅き夕陽、暮れても尚山陰の向こうに映える。月の渋きこと。
考えれば考える程人間はすごきものだと、地球の塵が意識を持ち叡智を育ててゆきたし、。恩田晃さんを再び聴き始める。
2日(晴れ)
夢、次の生活についてUAさんと話していた、UAさんと外山さんともう一方(CP?)の会場には入らず外より、Ykkとフライヤー打ち合わせ、GYBE!、電車にて軽井沢へ、作詞をす、。
思いの外寒くなし。遠くのシルクの様な雲の手前に縮れ雲の散り散りと層になる。隠された子猫見つける、一匹は親猫に食べられし後。
暗くなる迄マルチを剥がし大根洗う。手が荒れてきた。取り仕切ろうとする者の暴挙は何れにせよ不快で否定的な連鎖にしかならぬ。陽光の当たる場処より僅かづつ紅葉の始まって来る。
考える程に哀しみばかりが深まれど其が悲観や否定的思考の耽溺へと暮れ行かぬのは日々自然の中に存って身体を動かすからであろうと思えども其れだけでなく人として其れが自らの生き方の深みの糧になるものとしてじつくり付き合って行こうとする心構えがあるからやもしれぬ、と。底知れぬ悲嘆や空洞や虚無は一層の深まりを帯びども引きずられる余裕など無く生きれば生きる程内側に眼が増えて行く…、複数の眼が常に自らを見つめ詰問し続ける其れと闘いながら生きる他ない。其の哀しみは主観的というのとは違ったものやも知れぬ、昔ある方が仰っていた(自分の仕事は所詮大いなる御節介に過ぎぬと思うこともあるが其れに一生を捧げるしかないとも思っている)ということ、。
今眼前にある事を徹底的にやること、あの時突き付けられたこと(ば)を思い返し改めて思うのは矢張り自らの中の一貫したものと其れを貫き深め鋭く育て行く為の姿勢・態度・覚悟・決心、其の至らなさについて、。学ぶべきは厳しさだろう、詰め将棋も、。人間が生きていると云う事の原点を常に考えている事の常に有り。去り行く人を止めず歩ませたのは私の愛の至らなさ故だったのであろうか、優しさや真摯さと洞察力の足りなさであったろう。
吉増剛造を初めて目撃し度肝を抜かれたのは氏が録音してきた自らの声に二重に朗読を被せていた時のこと、(私は知らない!)という微動だにせぬフレーズの突き刺さる、武士、『切腹』、修羅だっ……!、、打てば響く、その速度感…、。
(そりゃ間違いないね、)と云うことば聞く度に違和感を憶えるのは此の世に"間違いない"事象等有り得ないと思うから、等と下らぬ事度毎に感ず、"確実"なんてことばは信頼しない、十人居れば十人の視座が有り十人の現実の姿有り十通りの真実が有り、私が考える私と他人が考える私の姿の像のどちらが確かであるか等議論にも成らぬ。
深夜一時、むくむくと起き出しやるべき事始めて午前三時半。
一部の知人より「細胞くん」と呼ばれていることを気に入っているが、しかし本来的には存在する生命は皆細胞の集まりであって「細胞」と名乗る事はただ生き物としての匿名へ還ることへの個人的な希求ではなかったか、そして匿名であれ其の固有の細胞の集まりが意志を持って奏でるものは何か、ということであったろう…、もはや匿名でも何でもないが…。
3日(晴れ)
夢(一)、雨の中長靴履いて街に出る、日曜の人は多し、デパートの様な場処の前売りに並びつつ彼女に三本の気になりし映画のフライヤー見せ彼女咄嗟の直観により意外な一本選ぶ、ビターズエンド配給日本映画、(あの人と最後に見る映画が是なら良かった(のかもしれない)…、と。)、舞台を観ているかの様な作品、佐野史郎泉谷しげるとあと二人、。地平線の大地に木が乱立し地震の様に横にゆさゆさ揺れ始める非現実的光景それがいつしか人の様に歩き始める奇妙さこれが映画だ(思い返すと明らかに三一一以降のヴィジョンであった…)。愛の究極、極北、最後の最後になって迄残る愛に付いて…、最後の最後迄どんな状況に置かれ引き裂かれても平然と変わらず変わらぬ顔をして残り続け貫かれる愛に付いて、の映画であった(男と女は笑顔や涙など感情的な処を一切見せないのがとても良かった)、飴屋作品の様な低き低きぶんぶんとうねるドローンにギターが浮遊する正に浮遊する…(from DroneZone)、ビートがあまりにも格好良くてノっていると隣の客ちょっと怖し、Oさんもいた、。サラリーマンの日常にバスが止まり川辺迄歩いた、そんな舞台……、(これはもしかすると私の使命か…、などと思うこととなった…、作業の後に再びこの夢の続きを見る為に寝る事となる)。
夢(二)、塾前のコンビニにてラーメンと惣菜、レジに並んでいると物凄い勢いで後に並んでくる人々に圧され熱き惣菜が前の男にかかり喧嘩売らるるもあまり強く無し、後にす、。MMのKgさんに逃げられ拗ね逃げる彼女は追う、遊具を下りゆく、巨大なブランコの壊るるなど、廊下に色とりどりのコンドームの散らばっているのを片付ける、高一時の担任N文化祭前日、着替える、女教員が朗読するあまりの上手さに魅了さるる、紙袋カサカサうるさい私とIちゃんとM子で車走らせる。
陽光射す角度の変化するに連れ巨大な虹がどんどんとこちらへ移動して来る、虹は移動する、一キロ程先でゆっくりと消えてゆく、その後再び角度を変えて現れる虹日和、山は古い写真の様な色、雪の散らつく。
霜降り対策としてネット張る、レタスを切りまくる夕暮れ、日暮れ後の空の全面が虹模様、濃紺に浮かぶもうすぐ半月。
注視者、注意深く視る者の紡ぐ音、聴覚的作家と視覚的音楽家、。
4日(晴れ)
夢、学校、廊下の奥に嘗て誰かが住んでいた様な秘められた埃塗れの部屋、たくさんの物たちの中RWRとDSNYのcd手に取る住みし人は女性だったか、戻れば総ての教室の机の上に名前と名前を交換合体さする紙、知人の兄イタリーより来る白ワイン試飲す、作業中教室ごと崖から転落ぐるぐるぐるぐる高速で回転し落つる、瓦礫の下の映像。
白い朝より二時間作業、至る場処から水の滴る、乾燥する。本当にナウシカの様なこころを持つ方は居るんだな、命を見つめ日々の暮らしを深めてゆくこと、その点に関して私は未だ見つけられずに居る、老荘思想、幼き私にとって曾祖母の存在は何か得体の知れない生き物のようだった、あの陰りと命の塊、あの存在(ノ)感(ジ)だったのだ、私は今彼の人が使っていた巾着袋を携えている、。
午前九時より、サニーレタスの霜で変色しせり。見えないものを視るという単純な話でなく見えているものの奥(億の憶)へと時間空間を逸して接続してゆく様な感性、賢治がよく地質学や天文学や電燈と云うのも其れだろう、。片足に懸かる重さを瞬間に無化する試み、。(問題を解決させない事、)とある人が呟いていたこと思う、常に可能性の海をたゆたい何処にも帰着させる事なくアメーバの様に姿を変容させ続ける為、。"人を動かす"ということについてぼんやり考え始める。同じ風景でも毎日世界が違って見えるのは当然の事、我々の生活が直線にばかり縛られていることを指摘する友人Hのことばのずっと此処にあり、。
産まれた処から始めたい、と思う…、矢張りこれは一人でやるべきだろう、語り部による口上、カセットテープ、曾祖母、内面性、…、私のやりたい事は所謂音楽ではないとはっきりしている、然れど音に寄る何かであり其処に身体が関っていることは確かである、"表現"でなく在りの侭投げ出すこと、(舞踏の舞台では、ダンサーの身体に見る人の心が写ります)と頂いたことば思う、拍子は無くとも打ち寄せては返すリズム躍動す。
昼の淡き空から夜の濃い漆黒の空への境目の曖昧さの不思議、中庸の薄明の刻の神秘、。
自らのことばはただ時に流し行くのでなくきちんと咀嚼し育てて行かねばならぬのであるまいか。私の喪失よりも彼の人が失つてしまつたものの事を想う哀しさ。
5日(曇りのち雨)
夢、巨大鰐の死体は下ろされた後、土地に其の侭捨てらるる、埴谷雄高、死ぬ様な場処で滝の映像を撮るばばあ、トンネル内交差点にて犬の首で遊ぶ異邦の男、パリの地下鉄で逃げられない、運動会、。
真っ白で先の見えぬ朝、見上げれば微かに青い空、次第に白く包まるる。セザンヌの描く山の様な色合いのブロッコリー。(結婚はひとつのビジネスです)との話でした。小雨の中、本日も収穫のみ、午前上がり。
見渡す限りキャベツ畑の地平線の方へ、白い靄の山を越え、意外な場処に神話の地、丘の上で鐘を打つ、場に似つかわしく無い一本の松、新しい墓地の中で隠れんぼ、廃墟、長く使われていないプール、鏡の国のアリスの木々の不思議な羅列、車内にて安吾「戦後文章論」賢治「グスコーブドリの伝記」「イーハトーボ農学校の春」「或る農学生の日誌」「祭の晩」、黒いタートルネック
再び人間について、(我々は何処から来て何者で何処へ行くのか、/ゴーギャン)此処には過去と未来があり生きている事を実感しながら自らを問い他者に成る事の出来る稀有な生命、無数のことば持たぬ者たちに変わり徹底的に思索(詩作)を生きよ、。今この場処に居り様々な生き方をする"人"を識るが思索のこころ耕して来ておらぬ生き方は"人「間」"のものではないと確信できる、其の是非を問うつもりは無いが。書物に入りし時は憑依されている否憑依している感じやもしれぬ、(感動に依ってのみ、わたしたちはリズムを作ることができる/クラーゲス)、耕す為には視て聴くだけでなく踊らねばならぬ、来日中のル・カン・ニンさんを見られぬこと悔やまるる。
地震、。帰りを待っていて下さる人の居る事この上なく有り難し。しとしとと降り続く長雨の音に眠いのに眠れぬ甘美な晩、深き呼吸を切望し眠れぬ深夜、酒傾けて万葉集は矢張り相聞歌。
6日(曇り)
夢、PS祭、太陽の神殿のような、Twklstrsのパフォーム楽し、雨の止むのを待つ多くの人らと、twitterにて感謝のことば、空気と粒子の話、私の即興、Sくん、Yさん、SgMtok、Hくん、神殿の頂上の奥に閉じ篭り考える、酒蔵、これからどうするか、この様な土と風と水のある場処に染み入って行く様に、財布の中に溜まった一円玉の山、外では撤収進める人々、。深夜の闇の中カサッと音がすれば巨大な唐傘象が寄り添っている。
新しきnhk朝ドラに音楽付けてる方のセンスが酷く公害の様で不快、ジブリの悪しき影響しか感じられぬ。矢張り一人でなければ歩行の録音は出来ない、今は。私たちの違いはただ素粒子の踊り方の違いに過ぎぬ。燐光すること。
山脈の向こうに薄らと透けて白んだ巨大な半月のはっきりと浮かぶのを見てあぁ惑星の上に居るのだなぁと不思議な感じ。一日「わら一本の革命」。場踊りのこと、身体で思考すること、。
日々異なる、夕暮れの空の色の移ろい刻々々と眼で追えぬ程にゆっくりと世界に充ちて行く広大な雲の海の不動にも近い程僅かな動きを漠と眺むる至福の刻、変化する色になり雲になる者、色を変化させ雲を動かす者、変化する色と雲の動く音に耳を澄ます者、。
豆乳鍋食す。
7日(晴れ)
夢、雑多な研究室、カフカとベンダースの問題、細長い黄緑色の鉄塔の上に立つ、。
朝焼けに映える木陰。秋は時間が出来て漸く作業の捗る、ピンク色の書物に取りかかる。風が強く耳元でひゅーひゅー鳴る、揺れる草木と早き雲の動きをじいっと見ていると動きの勉強に、在りの侭に在る事、みな分身か、。Tとソウルの話。ザンパノみたいな人だな、。夜、寝てしまう。
8日(晴れ)
夢、TBHが演っている、(何を云ってるかでなく生き方そのものが)とギラギラしたエレベーター内で語るSさん、Kさんところに親も居る、混んだコンサートホール。街中の板で出来た仮設ステージにて再びTBHが数曲、長野市、向かいの古き待合室に財布と鈴の忘れ物、引き返す、おばあさんたちありがとう、お遍路?隣の若きカップル、皆トンネルの方へ地上へ出てバスへと向かう、私は座ったまま。高級感在りし透明の深緑の眺め良き細長いモダーンなホテル上階、Iさん、渋谷IFの青き階段にて偶然KHと遭遇、隣に在る草木生い茂りしトトロの喫茶店へ梯子で上るの怖し。
少し恋焦がるる、午前五時の一等星、霞む山頂。氷る白菜レタス、青梗菜と水菜切る。水の拡散の飛距離に慣れと云うもの凄しと。
A君来る。一日湯船に入らぬだけで身体の固し。ポップス〜AOR風の曲ができる。夕陽の深き濃厚な桃色の雫、暗くなるまでかかる、頑張り方への違和感。食後に六人でトランプす。
人に話すことばは総て自らに問いかけることば、酒傾けつつRKさんと話す、。恋愛、社会、世界、人、身体、感情、現象、精神、観察、聴覚、音、精霊、抑圧と発光、器用不器用、道無き道、意志と自信、頑張らぬ在り方、自らを奏で響かせること、そういうものだ、食うことと金、変わらずに変わり行くこと、違和感感じ続けしこと、回想は後悔や郷愁の為で無く学びや鼓舞する為に、色んな眼が出来て行く其れを育て耕し其と共に生きて行く、現在と過去への二重の意味での誠実さ、人は似た者を呼ぶ、この時代に生きている事の面白さ及び九五/九七年について、等々。どうしても身体的に涙腺に来る二本の映画、『カビリアの夜』『東京物語』。
9日(晴れ)
夢、アルミ板で人形の彫刻をつくる。赤き照明の部屋の様な箱にてニルヴァーナでベース、カートが客に悪態突いており客逃げるの可笑し。
朝の匂いの変化す、白い。コスモスの花粉に蜜蜂と黄金虫。昼、ミルクソフトクリーム食べる、狭き車の後部座席、使われなくなった線路、暖かき午後にA君去る。
夜、ETV「希望をフクシマの地から」、渾身の番組であった、音楽家の立場から社会に対して何が出来るのか、と仰っていた、。果樹園農家さんの表情と最年少の娘が印象的、「土地」、境界について、。十年前大友さんにビール奢ってもらったこと思い出す、あの頃から自分の歩みも始まったかもしれぬ。
部屋に戻りに外へ出て見上げれば和紙に墨を滲ませた様な朧月、日本画にしか見られぬ感性、星も寒々した空気に滲む、月明かりに世が照らされて明るい、巨木の暗闇、犬の遠吠えと水の音響く夜、此処に在ることに感謝す、風景に耳を開く、どんな音、。般若の面のこと、ドローンに持って行かれる空洞に吹いてくる。Mをよく思い出す。
10日(晴れ)
夢、完全に三一一以後の世界に佇む、暗き瓦礫の山、灯り在る店にてお好み焼きつくり食べる。
赤蜻蛉交尾しながら飛ぶ。余計な気を使わねばならぬ人が面倒である餓鬼でも在るまいし。"深さ"は果たして浅さより優位にあるものか否一概には云得るまい。亡き伯父の服を一時喪失。道中という過程が好きだから空路はなるたけ使わない今此処と彼処とを繋ぐ橋、風景。MH氏の言語感覚にも少し影響を受けていたやもしれぬ万葉集に綴じ込められた映画。
豆の木の根を切断す。"愚直"と現されしことに唸らさるることの二度目である。圧倒的な緊張感とストイシズム攻撃性こころの奥底の芯へと。音楽でもなく踊りし時にのみ自らの内から現れ出て来るものがあるのだと強く感じられしことを、。父方の曾祖母の命日。
小澤征爾の求める底知れぬ音の深さ途轍も無きエネルギーこれ以上無い繊細で微細な微かなかそけさ主題と終幕指揮は踊り薬を体一杯にしながらの執念、。亡くなってしまった人たちのことを。月が遠く小さく強く輝く明るさで多くの星が掻き消されそうな程、やはり音を放つようである、虫の声ひとつせぬ晩に。TBHからチャイコフスキイ六番へ。
11日(晴れ時々曇り)
夢、夜の様な、芝に等間隔で印を付けて行く、Knkさん。MIさんより伝言(待っている、話がある)とのこと、数学の問題〜色の問い重さの問い星の問い〜簡単な筈がまるで集中出来ずいつまでも解けず、中学時代の人たち皆待っている。
知らぬ内に自らを誤摩化していることを自分の潜在意識は知っている。動きより先に強き強き想いが先行し身体が悶え振るえる姿の舞踏に近き様。
昼、三色丼。箱作りはスポーツの如し。不良のこと、イメージの喚起力、眼を獲得し光を"視る"ことで獲得して来たもの、付随眼球運動、動かないものを視ようとする時対象の内実に迫ろうとしているのか、漠として彼方側へと通じて行こうとしているか、。灰色の空に巨大な深紅の太陽沈み行く。Aさん家の子育て論の話、自主で考え動くことだけに意味が在る、故に何もせずただ信じて見ている、我慢して手を出さない、自らの身体をフルに使って考えることを、。
付き合いで酒傾け人生ゲーム、金ばかりで辟易す。あの人がくれた消しゴム判子が今も捨てられずにある。
12日(晴れ)
夢、石を拾う。
天気が良けれども山が霞み見えぬ、午前八時半発。山道を下りて行く、整備もあまりされておらず昔の人々はこのような道を、と思い巡らす、遠くより水の音してくる、左にだけ白樺の森林、絶壁、進み続けて信じられぬ光景が木々の絶壁の下方に微かに見える、思ったより遥かに大きし、そして温泉の匂い、紅い岩肌の川、深いエメラルド、其の奥に広がる嫗仙の滝、直線と曲線の筋、縄文の色、二つの不可思議な洞穴に虹の色、湧いている二本の温泉、落ち葉がちろいろと舞ってくる色と重なる、水の道、風の道、。
榛名湖と榛名富士の姿の圧巻、なんと左右対象な山、とろろ飯は駆っ食らうものである。榛名神社へと登る、鞍掛岩のアーチに見入られる、抉られた様な巨大な岩の凹みに何をか宿らん、杉の巨木に手を当てて水の流れ、賽の神の祠は歯の様にぼこぼこと生える岩々の彼岸か胎内か、瞬間的に空気の変わる場処、神橋から見える巨大な岩々の狭間の奥に一本松、岩と岩の間流れし瓶子瀧の蛇の様に神水の器に流れ落つる、矢立杉の水の胎動、双龍門に上り龍と下り龍、鉾岩の聳え立つ、鉄灯籠、御姿岩のスケールに息を呑む、樹は炎の様に燃えあがる、脇道を秋葉神社へと只管険しき山登る、頂上に辿り着き何も無きことが逆に嬉しい、布石としての小石を置き手を合わせた、神さまの居らつしやらない月の石の社、空洞、凹み、。
杉と林業田圃のど真ん中に岩山の祀られているのを幾つも見る、河原で遊ぶ少年たち、脈々とした山並み(波)に鉄塔の道の遠く消え行く。
翳る妙義山妙義神社、三つの風鈴、昔ある写真で見た長く細い石段はここであった、漆黒の品高き社殿、静かに揺れる灯り、風の音、山上に文字の浮かぶ、江戸時代の石段、。
見晴台、夕陽に空の遥かに薄く染まる、遠く山々の深淵の音、県境、。御影小学校。
真っ暗になり古本三冊、此処で開くと詩の入って来方がまるで変化して感ぜらる、朔太郎さん、都市で読むより良く映える。デミグラスカツ食らう、帰り道の眠し。Aより電話、次の話に突いて、漸く少しずつ動ける様になって来た、希望は探すのでなく見出すものである、対立項を立てるので無く何か第三の道のヴィジョンを立てる事、強き風が吹いているのに静けさの時、破壊され行くのに穏やかだったと云う、紡ぐこと、他、。
13日(曇り)
夢、Aさんうたう、。青きピアノ練習室にこそっと入りて弾くも鍵盤ばらばらに壊れている、練習室借りし先生ら入って来たもので会釈しつつしれっと後にす、。陰りある校舎至る場処にASさん、階段下にて触れる。納豆工場にてプルトニウム入りし製品、怒るお婆さんと母と連れた子。
ブルーの山にピンクの空の朝。彼の人の子育て論はまるで恋愛論としても機能せり、私には其の意味での"覚悟"が足りぬこと感じさせらるる。
藁を取りに隣町へ道下る、美しき透明度の紅葉のグラデーションは光を放つ様に道に連なる、稲刈りも終盤か、重き藁をトラックに投げ続ける、ドライブインでタンメン食らう、二人でキャベツで収穫少なし、巨大な木の板が楽器かキャンバスにしか見えぬ。男性的なものに生理的に拒否感を感じてしまう事益々確信する日々である、(農業やってる)と云った途端に眼を輝かせる人が逆に何だかなぁと感づる。以前直感的に"赤"に見出していたものはともするともっとどす黒い血の塊の様な色だったのやも知れぬ、縄文の赤・ラスコー壁画の赤・漆の赤・蟻塚の赤・曼荼羅の赤・五重塔の赤・ペトラの赤・マヤ神殿の赤・マグマの赤・血液の赤、…。
東の方の様々な動きの様子が伝わってくる此の距離が今は様々な発酵と凹みを。春巻食べる。一年が経ち漸く三歩歩けるようになる、転々とうつろい行く赤児の表情に学ぶ処多し。月が強い、強い光放つ星の多き様に感じらる、水が滴る音の絶えず。オルゴオル。
14日(晴れのち曇り時々雨)
夢、夜の寮。全裸でボロボロになった廃校の片付け、女子一人男三人。伯母と大きな別荘前を十字路、土砂の絶え間無き流れ。SさんよりAkf君に(何時までも水だけじゃダメだろ、更なるもの打ち立てないと)との事、(子供らを置きたし)、。
砂煙のみ残して去ってゆくトラック、鳶の鋭き鳴き声久しぶりに頭上に聞く、野菜重し、ふと浮かぶドヴォルザークにぐっと来る、真っ暗になる迄、"根の国"とは"根源の国"の意だとの話を思い出す。豚の角煮。「ジョジョ」一章。
15日(雨のち曇り)
夢、夜の細長き木造のアパート三階へと身を縮め帰る、心を何処かに残してきたようだが淡々としたものだ、K君らは店に在る全種類の酒を飲んだとか。
午前六時、霧で何も見えぬスコットランドの様な空気、思わず滲む、唐黍も完全に収穫されすっかり見晴らし良くなりし道、ふと甘き匂い、キリンジのうた頭から離れず、富士山のような姿の雲。
三時間半ドライブ、向日葵とススキが隣り合って在る、時刻丁度過ぎて間に合わず引き返す、マンドリン流るる街、夜道の窓開ければ蟋蟀の声、談春聞きつつ靄を掴む。付き合いで酒とUNO。
16日(晴れ)
夢、HMくんとUYさんの対談、。薄暗き倉庫、MIさんより舞踏其の限界へと、足上げし柔軟性と容易さのむつかしさ、舞踏の色っぽさと透けた青に黒き下着の若き女。オタクの集まる先鋭的イベント、Y特集の雑誌を針で繋げた、クラーゲス本の表紙に興味示し人、Kちゃんと居る部屋にpsを。フォークやスプーン投げつつ逃げし人殺しを殺さぬ様に追い詰め金属を投げ捕らえようとする殺したやも知れぬ。
暖かし、大気を覆う靄に陽光の降り立つ、紅葉に染まる山々に棚引く雲中には竜の姿、サニー畑にて水とサイレンともの運ぶ音録らえる、声の谺する、温室にて黄色き花に群れし蜂をじいつと見つめる人を見る、栗の実を踏みながら走らせる、日陰の水の跡日がな一日消えず。味気無し、朔太郎の(浦〜ula)という声脳裏にて連呼さる、扉開くと光溢るる、泥に映りし空の雲、黒猫触る、夕空に桃色と空色が幾層にも重なり合いて其の隣に象牙色の虚空広がり山影は巨大に見下ろす。拭い去れぬ品位こそ自らの限界だと改めて強く感ずるが逃れ様も無いのであれば逆に其れを徹底的に磨くしか無いという、。
夜、少しづつ構想進め、やや遅れて夜想「想い語る夜の色色」から杉本文楽「曾根崎心中」へ、音韻と身体、身体の動きから生じることばの音の変化と其れに伴う記憶、字余り字足らずの緊張感、記憶の古層、嗅覚や触覚、或る知人は以前(ことばよりもリズムが引っぱって行くものに魅かれる)と云ったけれど其れに対する違和感のずっとあり私は矢張り前者が先に有り其処に後者が付いてくるようなものの側に魅かれるかもしれぬと、ことば・朗読・語りもの。
再び月と対面し会話試みる晩。
17日(晴れのち曇り)
夢、数十年前の新聞が出て来て此処に嘗てどでかい陶磁器による五重塔の立っておりし事が分かる父が探べている。
朝から視界が開けている、大根に思いの外時間掛かる、全力でやる事出来ず、人がこんな風に土地を"所有"し荒廃した姿にしてしまって良いものか其れともそういう事でなく次の再生への手続きなのか戸惑いつつ考えている、私は子供は叱らぬ、花豆畑片付けにて妖怪の様に巨大な塊を押して移動さす、ビニール下にいたピンク白黄の奇形が可愛い。天麩羅、夜、直ぐ寝てしまう。
18日(晴れ)
夢、実家に初期パパタラのカラフルなDVD、金髪に染めた幼馴染のMちゃん黒髪に戻していた。向日葵に電球付け光らせる作品発明しているKちゃん、改めてH君はモテるのだろうなと、机の下にいたH君Yちゃん、キャベツのお化け気配の様にして、学校の怪談、教室にて殺している光景。赤き照明のnhkホールにて初期B&Sのライブに歓喜
抜ける様な秋雲の層、水菜青梗菜春菊法蓮草を採り仕分ける、一陣の風に一斉に舞い落ちる巨木の秋の落ち葉たちトタン屋根に一斉にさわさわさわさわとざわめきささめき音鳴らし乍ら降り立つ、竜胆萎れているもまだしぶとし。チキン南蛮、("世間"への違和感がなんとか私を繋ぎ止めていたのだろう)、折口『死者の書』と夢野『ドグラマグラ』はどちらも音の描写から眼が覚めて行くところより始まる、其れ迄詩というものを感受する感性に乏しかった当方を開かせてくれたのは矢張り発声されることばの響きの突き刺さりであった。女性の仕事の方が合っていると痛感、楽し。風が変化したことを音で知る、総ての音は空気振動風の音、風の色の違いを、発動し出すと只音に耳を捧ぐ、藁を持ち出すも惑わされぬ様慎重に扱うべし、夕刻、子猫の亡骸を木ノ下に埋め花をやる、初めて亡骸を燃やし虚空へ還してやりたいと感じたが、擦違いざま黒犬真先に走り匂い嗅ぎに行く死の匂い嗅ぎ付けた様だ。雲が蒲団になってくれる、蠅が高速で飛ぶ音の大ききこと。
19日(晴れ時々曇り)
夢、畑より三台の自転車で大人数で帰った。埃だらけの古い二階の部屋、切り取られた映画フィルムのネガを覗いた。KYさんのプロジェクトに参加、緑の教室、STさん関連と若干間違った紹介さるる、白きお気に入りのシャツに熱による穴が空く。赤煉瓦に蔦の張った昔住んだ街へと国際電話をかけていた、残っておりし二人スーツ姿で新たな道を忙しそうに。
ブルジョアジーの秘かな哀しみ、一人で畑に立つのが最も好きである、手相を見てもらう、レタス大根サニーブロッコリーで午前にて終了、浅蜊と大蒜のパスタに南瓜スープ、
軽トラで朔太郎さんに会いに前橋迄、氏の撮った写真の興味深き凹み、直筆の絵葉書、書きなぐられたノオト、新内こそ抒情の究極と云うことばに感心す、賢治朔太郎深沢七郎、犀星さんとの交友、心平さんと吊るされた鮭とボロ酒場の話、利根川迄十七年掛かって漸く辿り着いたも石たちを集める事は出来ず又何時か縁有れば、夕陽を受ける山脈群は幻影の如し、オルゴオルを何度も回しながら走る夜の家の灯りの哀しき、上空を渡す路の点々とした灯りの哀しき。キムチ鍋。
20日(晴れ時々曇り)
夢、地下のクラブにて酒呑まず緑茶もの。姿隠るる程の秋の草むらにて我々は何をしているのか、次第にどどこからか過激な集団がやってくるのが遠くに見え只管逃げる、足跡が付かぬ様全力で逃げる、教室に突然
の団体やってきて廊下を絶えぬ程に走り行き乗っ取らる、どうする事も出来ず絶望す、ことばゲーム易しく一段落し崖下へ、流れ落つる滝にて女性ひとり髪洗う、離れた場処で我々も、FYさんのホーメイが遠くから聞こえる、今頃崖上にて抵抗の様にして孤高で声を出しているのだろうと勇気づけらる、崖上からスピーカーが下りて来ていたFYさんと会う、左右の靴が色違いでセンス良い。
兎角先ずは探し物や拾い物から始まる、身体の中に流れるものと照合させながら。然る人Aのことば淋し、
レディオにて母を尋ねて三千里、大きな煙り立つ稲刈後の田圃、巨岩と大木の切り株の残る田園、赤松並ぶ路、見えるは富士山に龍の様に棚引き巻き付く雲、下りてくれば暑し、
深沢さんの筆跡を辿る、愛用のギタァを、展示品を見ると云う行為は何処か悼む行為と似ている、息を潜め目前の人の蔭を慈しむ様に見つめて手に取る、在りし日の呼吸を聴こうとす、芥川の竹の様な毛筆、飯田龍太の句のヴィジョン、風の音を録る、鼓笛隊の練習子供らの声、薔薇園と猫、。昼過ぎて私だけの木造の洒落た店にてほうとう鍋旨し、
日も暮れる千ヶ滝、落葉踏み歩く、山の音雉の声、鈴を鳴らす、長く轢かるる白髪の様な滝、帰り道の光る虫、
高級ホテルにノスタルジアを感じると云うのはどうなのか。別の曲が始まったかの様に終わる武満音楽。盲目の唄うたい。優しさこそ人の最も過激な武器として描くヴィアン。
21日(晴れのち曇り)
夢、父死ぬ、前日に(頑張ってな。)(ん?何?人生?)(うん、人生。)と話した、初めて抱きしめた、涙じわり溢るる、スポーツする様な服を着た。森林の公園の石の路歩く泥川を多くの何かが泳いで行くと思えば人であった何かの大会か、上がって来た人々は女子供ばかり、狭く暗い舟に下り行くと英国人だらけでシャワールーム借りる人の部屋の中にしかなく話しかけらるる。バスから下りアイスクリーム八人前以上七万円会費より払う、今晩のコンサートに私は訪れぬつもりがチケットを持っており一人会場、こんなにも汚く埃だらけの場処に住み込む土方の人々がのそのそと起きてくる屑屋と靴磨き屋、高級なホール、フェスティバル、MTさんやKさんの舞台があらゆる所で、どうでも良きモデルの名刺頂く、MM氏かと思えば違う人、倫敦のような暗さ。
早朝より煙の芳香立つ、やたら多くの烏が鳴いて居る、午前はずっと大根午後キャベツレタスマルチで終了、段ボールにかかった土が火山灰の様で懐かし、雨上がりの香りのする香水はないものか、干支の面白き、部屋での作業捗らず、青べか物語と季節のない街、夜小雨降って来る。
22日(雨)
夢、S君と居た、紅葉の路車で気付けば元居た場処へ回っている。
霧と靄に包まれ真っ白い一日、土砂降りの雨に黒き合羽越しにばらばらと打たれ胸躍りつつ収穫、。一日二時間づつの作業を続ける、音と視覚の関係とは音と物質との関係と云い換えても良く視覚から切断された音のみを扱う事のむつかしさ改めて感ず。六七年前に四畳半プログレと名付けた曲群久方ぶりに聴きあまりの寂しさに感じ入る。
23日(曇りのち晴れ)
夢、幼馴染のMは司書をしており土方全集受け渡さる、金払わずに来てしまつた、農業して居し事告げると好感触(なのが逆に単純過ぎる)。誰とも分からぬ人に種の蒔き方教授さる、ばら撒くと良いとのこと。ユニクロ。貫禄有り三十後半にも見えしホテルマンは同じ二十八らしく驚くもこのような道で無くて良かつたと。
夢の暗さを受けた事も有り寂しさは無いが只々哀し。人の生き方を自らの勝手な価値基準で兎や角云う権利など誰にも無いのでないかという事と同様に人の死を其の人が生前成した事を基準に特別扱いする社会の風潮に苛々す。
人の営みと結びつきし音から風情の消えしこと何時の頃よりか、農業に於いても同じく風情など何処吹く風、聴覚的感性の貧しさの淋し、只鳥の声と草木のそよぎのみ。「3'44」という曲湧く。
糸車を一つ手に取る、碁石気になる、牛の眼のつぶらなこと、フェスタにて知る人の店出して居しこと嬉し、花豆羊羹頂く、縄文土器と出会う、幾多もの仮面に戦慄す、石に対する途方も無く深い関心と感性、縄・炎・植物・風・穴・空洞・膣・器・食物・眼・妊婦・男根・蛙と蛇。火山。車内にて恋愛話の後、音楽と踊り・農・滝・行・建築等について。椎茸うまし、夕飯後も糸車から音と身体と農を通過して生きて貫く事について家人さんと語らう良き時間をば有り難し、水の災害多きこと気になる。実家に電話、遥か昔よく訪れた懐かしき洋食レストランはまだあったとのこと、じんわり嬉し。Aより電話、歩行、手続きの大切さ、戦国期の僧侶か何か、。外に出れば何も見えぬ程に真っ暗な晩。
24日(曇り)
夢、山、Arys氏はそんなにわるい人じゃなかったのかもしれぬ…。
見晴らしの開けた朝、山の靄のゆっくりと上がって行くのを見る、一瞬射す陽光の暖かさに感謝。あぁこの人もセックスするんだなぁと思ったらなんだか哀しくなった、と以前呟いていた彼女のことばにひどく同意す、秘密持たるる事で生まれし距離の哀しさは相手より寧ろ自分の方が引いてしまう事から、尤も他人の秘密など興味も構う暇も無いが、何もかも詰まらぬ。作業にも余裕が出て来た日々、パラガ聴く、夜あまりに眠過ぎて進まず甘し。
25日(曇り時々晴れ)
夢、校舎、インディアンの様相の死んだ人の矢張り居る部屋、魚の散歩して歩く水中にて最後の大きな一呼吸しょぼしょぼと抜け殻の木乃伊の様に死する魚、Sさんの授業に遅れ白き教室に入るの躊躇う、Gtnd君教室荒るる責任に悲嘆に暮れ泣くのを慰むる、Sさん談の野球の座席はビール売り場の横、居酒屋と温泉は直結してNさん服脱げば家庭内暴力による痣だらけでも動じぬ姿が彼女らしく格好良し。薄暗く埃被る建築の中の幻の白き光の扉、車走らせステレオより流るる自分の雨の曲にR大の亡き人の声幻の如く入りし曲、重いと感じ別のもの探すも良きもの見つからずrovo
靄がかり柔らかけれどブレ無く強き陽光線はひとつの意志の様、珍しくH君とレタスセロリ居心地良、午後遠出し隣町高架下の奥まった田圃へ藁取り此の地の長閑さは此処が凹みの中心である事からか広がる遠近感急な坂を入り行く、道すがら久々に二人会話楽し、レベルミュージック及びカウンターカルチャーとグルーヴ・追分・縄文遺跡と古代人の知恵・反自給自足人論・等、帰りの車内寒し、珈琲と肉饅、一面薄暗き雲に覆われ風強く犬吠える、藁を投げ運び縄結ぶ。
米入りロールキャベツ。歯磨きしつつ三者でことばとは意識とはからだとは生と死について、何時しかブレも無くなっているも常に現在進行形で問い続けている様な問い、手塚治虫の死生観、此の眼は誰のものか、人の中で思考する自然、ノスタルジアの否定、然れど此の程度で"深い"などとは到底呼べぬ。映画は目に見えし表層から考察するより構造に宿る魂に分け入り触れようとする事の方が面白いと思うのですが、タルコフについて思う。消す事が出来ぬのは別れても尚大切だからです。様々な事に対する苛立ち止まぬ詰まらぬ何もかも退屈である、世俗に生きる厳しさ。
26日(晴れ)
夢、家系最長老のばあさま亡くなり一同参列す香り立つ白き花一本ずつ添える顔は黒き布に小さな白き野花に彩られ剥き出しの眼球のみ、見られる状態じゃなかったのか。根の国の様な地底の急斜面下りエンジンブレーキ不調による事故。髪を切った覚えまるで無いにも関らず髪整えられている事に驚き隠せずもそんな事は無かつた。
朝の閃光眩し。Aちゃん来る、一人増えるだけで性格変わる不思議、仕事のテンポ快調サニー三十と八十cs。もののけ姫の(生きてりゃなんとかなる)談春文七元結の(死んだ方が楽だけど死んじゃいけねーんだよ何だか分かんねーけど、)と云うことばいつも木霊する。
全力で餅突く、大根おろし、けんちん汁旨し。
27日(晴れ)
夢、被災地。
早朝三時に出てコンビニ寄り分け入って行く黒斑山、降る星々流れ星眼巨大な北斗七星、懐中電灯で足場照らす茂みの中軽い、頂上にてお握り茶等、閃光三角形から瓢箪型の光産まるる世界の色、崖にワイエス、最後に出会う同い年のTと和歌山宮崎京都談瞑想談早く出会えてれ居れば。
牧場にてソフトクリーム、兎と山羊にまったりと日射し暖かし。屋外にてnhk第一大友さんの声聞きAちゃんに髪切って貰うあらと思つたけれど洗えば好評、今後の生き方と経験した事しか語れぬ事等。昼よりトランク乗り込み鬼押出し、ブルーベリージュースアップルパイ椎茸茶、鐘突く音の深さ心洗わるる、皆は御神籤、遠い眺めに見蕩れる上空を鳥たち旋回す、留置所談等興味深し。
温泉気持ち良し、ドイツ、白ワインにステーキ果物等食す、髪型素敵なウェイトレスさんと何度も眼が合う。
説得力緊張感と云うことば幾度も口にしていた、現代の神話、社会的少数者目線、古典の新しさ、生活の匂いの見える音、そういえば昔は喧嘩腰で音楽やってた頃思い出す共演者も客も皆敵だと思つて居た、子供に届くかどうかはいつも一つの基準としてある、私は大してストイックでも無い甘い人、所詮"こういう"人ですごめんなさい。渋さもエンケンも現代の無縁人だと。
28日(晴れ)
夢、樹を抜く作業Tさん居た。
朝日に万葉集。H君Yちゃん来るも暫し彷徨い車走らせ万平ホテルぶらりとす匂いの立ち方と光、喫茶歌劇を後にし懐かしの鳥飯屋混雑しながらも絶品、雑木林歩む、犀星さんの家の目線、辻ヶ花の美しき青き流れ店員さんかわいいおばさま本当に着物好きなんだな、パン屋でコロツケ
ログハウス的な店で珈琲二杯、ただ有りの侭に戻る為に人は何れだけの手続きを・"在る"ことで"無い"ものの浮き彫りとなり迫つて来しこと、"分からない"という誠実さ・笑い・ことば・原体験と其の変奏・物悲しさ心地良さ共に在る様な、"在る"と"無い"の境で戯れし子ども、育ちと恋愛のみが器を・、髭蓄えたオーナー良い人。
随分と遠回りして洋食屋にて様々を頼む、此れからの話・此れ迄のやり方よりも先へ・最早戻れぬ路選びしこと・仕事と表現及び食ってくこと・決意或いは意志・何故東京でないか、繋がりが有るからこそ離れても続けらる、音と何故踊りか・滝でのこと・常に自分を斜めから見ているもう一つの眼が手綱の様にして在る・干支、シェフ良い人。
二一時半過ぎからトンボの湯気持ち良し農業について、カフェーにて柚茶で黄昏=逢魔ヶ時と狂気と柳田・荒川建築・カタカムナ
泊まる、蒲団の中に猫。
29日(晴れ)
夢、初恋の人、四十メートル上空の穴から飛び降りるしかなく大丈夫であつた。
朝送って仕事久々に握手す、髪切りし後も尚タオル巻き水菜蕪レタス大根サニーでマルチへ流れる、昼酢豚、夜雑煮と姫鱒。
身体という空間、時間という事と空間という物、二兎を追うなと云ったIさんの影響は思いの外大きいやもしれぬ。未練がましき訳でもなくメール送る夜寝てしまう人に貰いしサンダルの緒の青さの哀し。
30日(雨)
夢、薄暗き教会の様な場処は幾何学模様の椅子の配置で後の席にT君、洗脳されそうな場。巨大な雀蜂たちの中へ入る。KさんKちゃんAさんの都心ど真ん中の家から見えし壮絶なる三つの山と云おうか絶壁、崖を車で上り其の侭宙に一回転して下りるゲーム崖から下りる人々、撮影班半端でなく果敢。
朝の白き靄今日も広がる山の頂霞み浮かぶ、或ることば受け締め付けらる対話すらできぬ事苦し。
自らの弱さや甘さを理解しながら其の弱さや脆さを晒すことを躊躇せぬMTやLCの姿、堕ちてゆく事ではない、KMさんもMEさんもKEさんも強さや厳しさがあるからと云うより自身の弱さを認め闘っているからこそであろうと。顔に泥が付着したところで何一つ困ることもない顔です。
夜三人四人で深夜一時迄部屋飲み、此れから・録音テープ鑑賞・自分なりの格好良さを追求してゆきたいというH氏の姿勢格好良し、いつも恋愛の話になるのは其れが万物の象徴としての姿をしているから。
31日(晴れのち曇り)
飲み過ぎた為頭とからだ重く夢を忘却す。
抜ける様な空、棚引く巨大な雲群、風強し、黒く聳える浅間の壮大さ、水菜蕪サニーリーフから大根法蓮草箱作り、最後はあまり身体動かす様な仕事ではなかつたが、さよならの音たち鳥と落ち葉、。
その後各地で様々な動き現われては消え痕跡は地に香りの様に残りながら、私もそろそろ漸く。プラトンが詩人や音楽家舞踊家を追放しようとした事思う、岩戸隠れに見る芸能と笑い狂気エロス、眼を耳を変質させ触れ得るものの層を開いてゆく、踊ることで関係を通路をつくり行く、現実を変質させる虚について、炎は光と熱だ!!!、足の裏をもっと意識せよ。三食丼、肉饅食す。