山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

音楽の故郷のようなもの、

11月24日、28日と、公演無事に終わりました。
ご来場下さった皆さん、どうもありがとうございました。
24日の月見ル君想フでの公演、
踊りではなく音楽としては、一年半振りとなる舞台でしたが、
今回のこれが今の私にとっての精一杯の音楽のカタチなのだ、と考えると、
なかなかに感慨深く、また教えられることの多い「作品」となりました。
今回は、瀧口修造
「音楽の故郷のようなもの」……、
という言葉が舞台冒頭、ふいに口を突いて出てきた…、
この言葉を巡る…、私にとっての「音楽の故郷のようなもの」考…を巡る、
「作品」だったのかもしれません。
何度も音楽をはみ出て行きそうになりながら、
ギリギリのところで最後まで音楽に踏みとどまって行けたのは、
紛れもなく、自らの懐で長年育て続けてきていた瀧口のこの言葉と、
(えぇっと、次のような云い方は滅多に使いません…、使いませんよ…、)、
終わってみて気付いていたのですが…、
…音楽への…、愛。うた、への…、愛……、
そしてまた、…自分にとって長年音楽と向き合わせてもらってきた、
月見ル君想フ、という場処への、愛…、だったのだと、
改めて感じたところでした。
でなければ成立しなかった「作品」でした。
その前々週に行いました、無音即興舞踊シリーズ、
《与えられたものから自由になるための試論序説 vol.6》でも、
結果的に、改めて音楽のことを考えさせられた公演となりました。
公演を観て下さった方からも指摘されたのですが、
耳の感受性、音の感性、といったものが、
そのまま、踊りの感性として、核にあるのでしょう。
その根本はおそらく、作曲家武満徹について研究していた頃にあるのだと、
ふとしたことをきっかけに、先日、思い至ったりもしていました。
28日の公演。《音楽を利用するでもなく利用されるでもない現存在=身体のために》
第三夜:矢野顕子『音楽堂』篇。
うたの魔力。声の魔力。言葉の魔力。ピアノの音の魔力。
一曲一曲の短さも含め、様々な手強い魔力があるなぁ、と改めて…。
実は前回のサムルノリ以上に手強く、
自分が踊りの探求においてやろうとしていること、
そしてやるまいと強く肝に銘じていることの、
両極を深く孕んでいる。
大切にして行きたいものであれ、時にそれを捨ててでも進まねばならぬ、
といった局面で、何を選び、何を捨てて歩むのか。
このようなやりにくさと、どれだけやりあえるか、といったところから、
新たなものが多々見えてきたような、シリーズ第三回でした。
話せばきりがないので、今回は、この辺で!
ご来場下さった皆さま、スタッフの皆さま、どうもありがとうございました!