旅人をもてなすように
異邦人をもてなすように
来訪神を、マレビトをもてなすように
疫病をもてなす
これは、わたしの生まれた土地の隣の
祖母の実家のある部落
この周囲には昔から
疱瘡踊がチラホラ残っていて気になっていた
周りのじっちゃんたちのあいだに
神さまでも混じっていそうなヤバい映像
「『歓待』の際に訪れる『他なるもの』は同時に法外なものであり、同化されえないものである。この、『法外なものの受け入れ』=『歓待』の唯一無二の掟は、同時に『私』が『他なるもの』に対して、問いかけることができないということを意味する。『あなたは誰ですか』『どこから来ましたか』『目的は』などの問いかけは、必然的に、それに対する応答を要求する。そしてその応答、あるいは応答拒否によって、『私』は、『他なるもの』に対しレッテルを貼り、『私』にとって理解可能な範疇(排除対象という理解も含む)に入れる。つまり問いかけは『他なるもの』の『他人』化である。これに対して、襲来する『他なるもの』は、それが優れて『他なるもの』であるがゆえに、『歓待』を行う『私』に対して『あらゆる限定以前に、あらゆる先取り以前に、あらゆる同定以前に』、ただ受け入れるという法外な行為を要請する。『私はあなたが誰であるのかなたにたずねはしない。あなたの出身地も、あなたが赴く場所も』」
「神話は、私たちの世界が、ある意味その根源から切り離された存在であることを語っている。そしてこの世界において、非‐知の根源から、不意に訪れてくる異人を受け入れることは、たしかに異常なことであり、シャーマン化の初期体験が示すように、安定し、秩序だった共同体から逸脱し、無秩序のただなかに投げ出される。しかし、まさにこのとき、人はその超越的存在、根源と分かち難く結ばれた存在であることを確信するのではないのか」
(『「歓待」の精神史』八木茂樹)