晴れ。
土埃に塗れる。
もう既に日に焼けてきた。
毎日浅間山と対面す。毎日煙りが立ち昇る大地の胎動、揺れる。
うちの祖父もうちの父も毎日見ていた山、の麓に、今私も住む、
異なるやり方で辿り着いた、
この辺りではまだ桜がきれいに咲いており、燕の数を数える、、、
巨大な石や、木々や、花々が、広い土地の真ん中の家の周りに添えてある、
何もかもが、人の手によって作られた土地、
数しれぬ挫折と別れの悲しみの記憶が満ち満ちた美しき緑と光溢れる土地、、、
ライラックが香り、犬と猫と牛と戯れる、
唾液を垂らした掌を差し出し、
ザラザラした分厚い舌で舐め回されながら、
牛さんの前で、私はただのちっぽけな人でしかあらぬ、
まだ直立できない赤児を見て、
人類の身体はいまだ二足歩行に対応しきれてない、という言説の甦り、
こちらから手を差し伸べども、
最後のところでは、あちらのタイミング、呼吸をじつと待つのだ、私は。
空の広さを仰ぎ、連なる山に囲まれた平地にて、
暮れゆく夕陽に、折口信夫だ!!!、(二上山と死者の書)、
と、日々、こころは叫び躍動す、
既に土と同化する手を持つちっぽけな人の眼球に映る風景の光、
巨大なスケールで小さきものに触れるのだ。
注意深さ、繊細さ、ナイーブさの質が異なること、、、
自らの粗雑さ、横暴さに身につまされど、
自己に向かうナイーブさよりも他者に向かう神経の細やかな柔らかい配慮、
神経とは、思いのほか柔らかく表情豊かなものである、
そしてそれは背骨を通って…、、、
このような土地で育まれる人の内側の風景よ、
ここにもまた、
裏をひっぺがせば取り残されし風景が広がる、
噴き出しつづける水道管の冷えた噴水、の回りに何層にもなった苔、
廃墟に入ればからだがむず痒くなり、さっさと出る、
草や蔓に完全に覆われし自転車や巨大なバスが山となる、
皇室さんから売りに出された土地の曠野、
なにもかもが巨大なことよ、、、
火山の見えるこの地方には神社も寺もなく、
どこに挨拶すればよいのか分からぬままとりあえず慰霊碑に手を合わせる、
きれいな花が毎日添えられる碑の周りで、子どもらが遊ぶのを見た、
開拓民の土地、当時の記憶を知る者はもう数える程しかおらず。
数年前までは下の村にて古くからの仮装の祭りが残っていたらしいが、
今ではもうそのような祭りの影もない、
九十をこえるおばあさまに話を聞いた、日が暮れる刻、刻々と、、、
いつまでも植物を触る、誰よりも、。
車で十五分程行った処にある川、瀧にはまだゆく時間がない。
まだまだ生活の模索中。