山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

5月31日 曇り







しばし音の沙汰を消したまま
北の地を彷徨い歩く
あ、ここにもまた水だ、
となんども呟いて
それぞれにまったく異なる表情と奥行きをもった人たちと遇う


磁場というものはこれか
奥深さとはこれか
遠さと近さ
闇の深さと光の強さ
沈黙した魁偉な不動の存在感
緑や碧の豊かさと白と黒の貧しさと
死の有り難さ
地底にてしづかに佇む巨大な湖
溶け出す岩肌
何処までも音を吸込む暗闇の穴
地面より沸騰して湧き出づる水分と蒸気の音と熱さと匂い
碧や翡翠や鉛丹や緋や鬱金白磁から消炭
土器と化石と剥き出しの地層
貝と骨の痕跡
土と風の匂い
潮に曝されつづけ形づくられた肌理
旅をして丸みを帯びた木片
荒波をも包み込む砂の山とその鳴き方
岩を破る桜や松や檜もあれば
岩に生える野生の花や長葱、
そのいちいちにおどろきどよめく

時に険しい檜の森の山の斜面を滑り落ちそうになりながら
時に波の激しく寄せる崖下の雄々しい巌石の群を跳ね渡りながらも
行き過ぎるどこにも人の立ち入った痕跡はあり
全身が戦慄する度に
私なぞ比ではなかったであろうおののきの原始のにんげんの姿に
連なってゆこうとする
この光景を初めて眼にした人間は何をどのように視感じ動いたか
〔数週間前に久々に「2001年宇宙の旅」を観た時の驚き…、人類の夜明けから未来への、…及びHAL-9000の眼と感情…、色と音と光と闇の速度、…、〕


たまたま暮らしと云うものの"くらし"と云うことについて
はなしをきいたことも重なって
〔そこから柳田さんの民俗学とは生活のなかの暮らしに光をともすための学問としてはじめられたものだったということなども思い出しながら…〕〔こうして歩きながら私はいつも折口さんや柳田さんのことばを思い出している…〕
(こんな何もない場処になんでわざわざ、)
と様々な場処で笑われる度に
((いいえ、だってあなたがここに居て、この地で連綿と続いてきた生活があるから、))
とこころのなかで答える
"なにもない"場処で人が生きてゆく中で
人は何を大切にして何に楽しみを見出し
何を憂い喜び泣き笑い哀しみくらしてきたのか
勿論その姿も近代以降大きく変化してきて
どこも変わらなくなってきた部分もあるけれど
ふっとした瞬間に薫るその地の文化の匂いがとてもいとおしい

あいにゆきたい人や
あいにゆきたいものたちが
いろんな場処にどんどんどんどん増えてゆくということが
とてもうれしくとてもかなしく


歌枕をたずねて辿り着いた果ての地








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先日のこと
木下晋さんの鉛筆画を初めて識り
その描かれていらっしゃるお姿も含めて驚愕しておりましたのですが
特に印象深く感ぜられました作品のひとつが
山形県注連寺の天井に描かれた全長四メートルにもなる《合掌図》
ただ重ねられた巨大な手がそこにはあり
鉛筆に寄って引かれた一本一本の線は
長き歳月を経て深く深く刻まれて来た一本一本の皺として
故に一本一本の線を引いてゆくという行為そのものが
ある種の祈りの行為のようにも見えて
〔私はいつしかその姿に志村ふくみさんが織物を染め織られている姿も重ねていたのですが〕
あらゆる私たちの行いが
本来的には祈りであるように
祈りであるように歩き

ことばを立て

耳を傾け

音を立てて

様々にふれてゆきたいなと

感じているのであります


波の音を聴く樹の脇に
沈黙した本を置きました