山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

独舞 × 矢野顕子『音楽堂』

【告知】
《音楽を利用するでもなく利用されるでもない現存在=身体のためにvol.1 第三夜》
2014年11月28日 19:30開演

山田有浩 独舞 × 矢野顕子『音楽堂』(J-pop)
場処:きいろろ聡明堂(http://kiiroro-someido.sakura.ne.jp/index.html
料金:¥1,000
予約:acogigensoukyokudai0202ban☆yahoo.co.jp(☆→@)


第一夜、
ジョン・コルトレーン『Olatunji Concert: The Last Live Recordings』(フリージャズ)、
第二夜、
サムルノリ『サムルノリ(四物遊撃)』(韓国パーカッションアンサンブル)、
と、続いてきた。
この後、和声ポップス、エレクトロニカ、クラシック声楽と続いてゆく。
第二夜を終えて感じ始めているのは、
五つの他者(五枚の音盤)と向き合うことで進められている当シリーズ、
それぞれの他者がまるで異なった資質を持っている為、
それぞれに完結した晩/作品になるものとばかり思っていた。
だが、どうやらこれは五つの夜を通して続いてゆくひとつの大きな作品であるようなのだ、ということ。
向き合う相手の出自(…という云い方を、敢えてする。)は違えども、
第二夜は確実に第一夜の延長としての景色を見せた。
そこには、当シリーズの主題である「利用しも、されもしない…、」といったことを越えた、より大きなテーマの流れがあるようだった。
それが何なのかは、私にもまだ分からない。
(否、本当は分かっているかもしれない。だが、今は別に明確な言葉にする必要もないと思っている。その核心の確かな感触を僅かにでも掴み戻って来られれば十分である。いずれ機が熟せば、ひょっこり姿を表して来るだろう)。

さて、第三夜、
矢野顕子『音楽堂』である。
別に矢野顕子が好きなわけではない。嫌いなわけでもないが。
当シリーズはどれもそうだが、
決して好きな音盤を選んでいるわけではなく、
あくまでも、今の自分が向き合うべき他者として、踊る必要を感じているものを選んでいる。
『音楽堂』は矢野顕子の四枚目の弾き語りアルバム。殆どがカヴァー曲で占められている。
彼女の、日常の小さく些細な質感に寄り添おうとする神経の細やかな芯の強さ、
小さな声の柔らかなしやかさ、揺るがなさ、揺るぎなさ、全存在を一点に注いで紡がれているようなピアノの一音一音。
前二回は、烈火の如き激しさの情動の吹き荒れる音だった。
第三回にして景色は一変して静の側に反転する。
…した…、かのように見えて、だが、それは本当に反転したと云えるのだろうか。





(photo; someido)