山田有浩 / Arihiro Yamada

Information of Arihiro Yamada (dance, butoh / ダンス, 舞踏)

02月08日(火)、曇りのち雨。






温かくなって人通りが増えてきたかと思いきや、
曇りの日は人が少なく閑散としていた。
野菜をしまいこんだ。
クレーン車の業者さんが樹の細枝を片っ端から切って去っていった。
裸体の白い樹の肌は乾いているがその内部ではじわじわと大量の水が吸い上げられつづけている。
その速度を思う。


夢、
オレンジの光のアンティークの店にてアイラーが爆音で流れる中、
小中学生の頃の知人らがたくさんで、混沌とした卒業パフォーマンスを行っていた。
破壊する者もいた。
この人たちもみな、今や私だ。


日々の睡眠が5時間では足りなくなってきた。毎日眠い。
ここ二週間半、痛みは続いたままに深い呼吸がとれず。
でも集中しているときは無化される。
身体を酷使しているというよりも、
錆び付いた身体から余計なものを落としてゆこうとする日々、の中で、
ちょっとずつ流れにまかせたまま、探る。

恐竜の化石の話をした。
大きな風に森が揺れ音が全体として轟く。
空が美しい。
犬が空に吠える。
(ほら、空ばっかり見ないの!だからいつも転ぶんじゃない!)と、
手をつないだお母さんが幼い女の子に云う。


好きな人からのことばだけで生きてゆける。
いなくとも。

もっともっと魂のふるえる音を聴かせてください。


(○○さんって、苛々したりストレス溜まったりすることあるんですか?)と尋ねられる。
特定の対象に対して差し向けられる苛立ちは殆どないけれど、
自身や現代社会に対する苛立ちは絶えずありますわな、
絶えず苛々しっぱなしだし、常に生きてることにムカついてますわ。
と答える。
あと、人や物にたいして無神経に迷惑かけてるひとは倫理的にきらいなので、
はっきりと物申すようにしちょります、苛々やストレスとは関係ないけど。
でもそこに私的な厭味やら憎しみみたいなものが介入しちゃうと
たちどころに負の連鎖の種になっちゃいうるので、
なるべくそういうことないように接してる、などと。
今日も相変わらず苛々しっぱなしである。
でもそれを外部に負のカタチで発したりことさらにアピールしても仕方ないし、
というよりも、そんな時間はない。


電車に乗り、川を二つ越え、
知人の出ている舞台へ。
地下街を抜けて地上へと。
カラカラカラと、港の風に吹かれる落ち葉がコンクリートを転がる。夜の影。下弦の月
氏らしい爽快さはいつも気持ちよい。
作品はきらいではなかったけども、
こうして「不在」や「喪失」をポッカリと体験させるような作品は近年よく見られるし、
だからこそそこに至る構造、方法論が作品の強度を決定づけてくるわけだけど、
それもどこか既視感があるような感じがあり、あぁー、分かるんだけどなぁー、
もう一段先まで抜けてほしかったなぁー、と。
芝居と"制度"というものについて考えていた。
根本的なところで、何故台詞なんてものが必要なのか、ということ含め。


右耳の幻聴がすごい。
感度が良すぎるのか、頭がグルグルする。
路面に沿って連なった淡い電燈の光が遠く水面に揺れて、見つめている。
気付けば最終電車であった。



(現代人が失いつつあるのは、話しあいよりも、黙りあいだ)、
という寺山のことばを持って。


やさぐれた街を独り歩く深夜。
酔っぱらったヤーさんやら厚化粧のばばあやらジャージの不良らの脇を抜けて、
取り残された人々の姿が絶滅危惧種を見ているかのように寂しく。
アルコールと煙草のどこか酸っぱい匂いに涙腺が崩れ落ちる。何故だ。
見つけたのだ。